作品の閲覧

「800字文学館」

トルコの商人

野瀬 隆平

 トルコのガイドや土産物屋の店員には、日本語を流ちょうに話す人が多い。それも、単に意味が通じるという程度ではない。
 例えば、トルコの名産品の一つ、陶器を売る店に入ったときのこと。色鮮やかな細かい手描きの紋様の入った皿を手に取って、滔々と日本語で説明する。
「いや実に、いい仕事していますね
と我々日本人の顔を見渡し、
「私はトルコの中島誠之助ではありませんがね……」
と、にやり。日本のテレビなどでおなじみの言葉をふんだんに取り入れ、ダジャレまでとばすのである。

 さて、カッパドキアで、政府が運営している高価な絨毯を売るセンターに案内された時のことである。広い部屋に何枚もの絨毯を広げて、代表格の店員がその素晴らしさを盛んに説明する。
「これは使えば使うほど良くなります。一生使えますよ」
と言ったあと、客のほとんどが年寄であることに気づいて、
「いや、孫子の代まで何十年、何百年も使えますよ」
と、言い換える。
 素人の我々が見ても、確かに良い仕上げで、手で撫でてみてもその肌触りの良さが分かる。どの絨毯にも値札が付いていないので、先ずはいくらぐらいするのか知りたい。けれど、店員に尋ねても話をそらして簡単には値段を言わない。こちらが単にひやかしか、それとも本当に買う気があるのか見定めようとしているのだ。
 買う気があるのはどの客か、その態度と彼ら独特の勘で目星を付けると、店員の一人が、その客だけをうまく別室に誘い込む。他の客には分からないように、値段の交渉が始まる。
 やがて、拍手が聞こえてくる。商談がまとまったしるしだ。それを聞いて、買うかどうか迷っていた客も、「我も」と別の店員に誘われて、どこかへ消える。また拍手が起こる。こうして、ツアー客の多くが、つられるようにして何十万円もする高価な絨毯を買ってゆく。
 こんな大きな絨毯を買って帰って、自分の家で敷くところがあるのかと、冷めた目で見ているのは私だけだった。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧