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「800字文学館」

ツタンカーメンのえんどう豆

中村 晃也

 ツタンカーメンは紀元前十四世紀、エジプト第十八王朝第十二代目の王で、在位九年、十八歳で死去したと伝えられている。
 一九二二年、王家の谷にあるその未盗掘の墳墓が英国人ハワード・カーターによって発見され、豪華な副葬品が大量にそのままの姿で発見された。

 その副葬品の中にえんどう豆の種があり、これを持ち帰った英国において発芽させることに成功、遠く三千四百年前の生命が甦った。
 日本には発芽から三十二代目の種が二百粒送られ、どういう経緯を辿ってか、数年前ある農業関係者から数粒が私の手元に舞い込んできた。

 えんどう豆は酸性土壌に弱いので苦土石灰を混えた庭土を大型の鉢に詰め、十二月初旬に水に一晩漬けた種を、二粒ずつ三か所に播いた。発芽力は強く、数日で発芽した。ひと月もすると十センチほどに成長し、支柱を立てて誘導した。一月の末には三十センチ程まで伸び、やがて蕾がついて花が咲き始めた。
 花は中心部が赤むらさきで、外部は淡いピンク色である。以後五月ころまで次々に花が咲き、六、七センチの長さの莢ができはじめた。莢は、はじめは緑色であるが、次第に濃い紫色に変わる。

 莢から豆を取り出し、豆ご飯にして食べた。茹でた豆は緑色に変色していた。 そこで一句・・・「遠き日のファラオを偲ぶ豆ごはん」
 翌年、暮のどさくさにまぎれて播種を忘れ、三月になってから播種した。前年と同じように収穫したが、軟弱な種しか取れず保存中に腐ってしまった。
 かわいい子には旅をさせよとの格言があるが、土の中で越冬させないとしっかりした豆はできないのだ。

「だから今は手持ちの豆はないんだよ」と、この年齢になってもボート漕ぎにうつつを抜かしている友人に話した。

 大柄な彼はニヤリと笑って「なんだ紫の豆ならいつも両手に持ち歩いているよ」と言って掌を広げて見せた。

 分厚い彼の手の平には紫色に変色した血豆が並んでいた。

二十五年四月

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