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「800字文学館」

高遠の夜桜

清水 勝

 我ら四人、街道歩きでは必ず社寺にお参りをしており、そのご褒美にと高遠城址の桜はドンピシャ満開で笑みを以って迎えてくれた。
 平日にも関わらず人で一杯。それもそのはず見事な桜だ。「天下第一の桜」と称せられている通り、少し赤みを帯びた桜色が鮮やかな「タカトウコヒガンザクラ」という固有種で、実に上品な華やかさを醸し出している。よくよく見れば、小ぶりの桜花で枝にびっしりと咲いている。高遠城址には桜以外の樹木が全くなく、全域1,500本の桜が一斉に咲いている。正しく桜、桜、桜さらに桜といった風情である。
 桜に堪能して街を歩いていると、うれしいかな『仙醸蔵元』に出会った。歩きだということで試飲を勧められ、純米酒から本醸造まで全種類の呑み比べとなった。二次会用にと『黒松仙醸』を購入し、近くの居酒屋を紹介してもらった。
 旅館に戻り温泉でのんびりとした後は、いざ居酒屋へ。その名も『とまり木』、ご高齢の女将が地元の自慢料理を出してくれる。仕上げは『伊那ローメン』で腹を満たした。
 さて、これからが本番の夜桜見物となるが、酒の所為か足元が不如意でありタクシーで行こうとなった。三十分待ちとのことだが、このまま飲んで待っていたんでは危ないということになり、タクシー会社に向かった。
『高遠観光タクシー』は立派な建物にあり、待合室ではお茶とお菓子を出して下さる老女。聞けば、このタクシー会社の女性会長で85歳。75歳まではドライバーをしていた元気な方だ。今は息子と嫁がドライバーで、車は二台だけ。のんびりとやっているそうだ。三十分待ちも待合室のあるのも道理だ。地元の話や自慢の孫の話を聴いている内に、お嫁さんのタクシーが戻ってきた。
 昼間の桜の華やかさからライトアップされた夜桜の妖しさには、もはや言葉すらない。深い深い桜の淵に誘い込まれていく。桜の花が優しく頬を撫でてくれるようだ。桃源郷という言葉があるが、ここは桜源郷だ。

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