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「800字文学館」

議院内閣制を考える

都甲 昌利

 中学・高校の社会科の授業で、三権分立を学んだ。国家権力を立法・行政・司法のそれぞれを独立させ、相互に抑制・均衡を図ることによって、乱用を防ぎ国民の権利と自由を保証するという原理だと。立法府は法案を審議し制定する機関である。司法府はその法律が順守されているかをチェックする機関。行政府は制定された法律の実現を目的として、公務員が行政を執行する機関である。

 ところが今の議院内閣制は、立法府の国会議員が行政府の大臣を兼ねるのである。同じ人間が立法府と行政府とにまたがって権力を行使するのは明らかに三権分立の思想と矛盾する。実際に行政を行うのは官僚である。彼らは厳しい試験を受けて係長、課長補佐、課長、部長、局長、事務次官への出世をしてゆく。しかし、彼らのトップである大臣は次から次へと変わる。大臣に就任した時の言葉が「これから勉強します」では困る。嬉しさのあまり口を滑らす大臣もいる。官僚が書いた答弁をたどたどしく読み上げてお茶を濁す。これでは国民はたまったものではない。少なくとも大臣はきちんとした政治哲学を持ち、国民のために政治をしてくれなくては困るのだ。

 それでも国会議員は大臣になりたがる。何故か。それは立法府と二股をかけて行政を自由にできるからだ。永田町の国会議員会館へ行くと各種の陳情団が来ている。カネが動く。政治と金の癒着である。猪瀬知事や渡辺喜美代表など典型的な例だ。これは氷山の一角だろう。大臣になるには当選一回の議員はなれない。何回も当選を経て初めてなれる。年功序列だから古株に有利だ。政治にまつわる諸悪の根源はこの辺にありそうだ。

 ではどうすれば良いか。国会議員が大臣になる時は、議員バッジを外すべきである。あるいは事務次官を大臣にして、大臣は助言と監視をする。又は行政のトップはアメリカのように別に選挙をすべきである。首相公選制である。数年前に、政界、財界、言論界で真剣に考えられたが立ち消えだ。

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