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「800字文学館」

私はゴッドファーザー

志村 良知

 アルザス在住中、郊外の村に居を構えていた同僚駐在員一家の子供達がカトリックの洗礼を受け、私はゴッドファーザーになった。
 アルザスの田舎では、普段の生活や子供同士の付き合いにもキリスト教が色濃く入り込んできて身近に感ずるのだという。その中で、子供たちが自ら洗礼を受けたいと言い出したのだった。
 話が具体的になるにつれ、ゴッドファーザー問題が浮上した。親は最初、よく教会に連れて行ってくれるお隣のフランス人ご夫妻の事を考えた。しかし、神父さんは「ゴッドファーザーとは子供達と共にあり、親に万一の事があったらその子達の親に成り替わる者なのだから、日本人であるべきだ」と言う。そうは言われても身近にキリスト教徒の日本人などいない。すると神父さんは「子供たちが信頼し、後見になれる人ならキリスト教徒である必要はない」と言ってくれた。私はその子供達とはアルザスで初めて会ったのであるが、会ったその日から仲良しで、名前で呼び合い熱烈ビズー(キス)の仲だったので私に白羽の矢が立った。
 あの子たちの親同然になれる、というのは嬉しいが、ゴッドファーザーの意味は勿論、キリスト教については何も知らない。そこで私は、事前に何度か教会に行き、英語が話せる御婦人の通訳で、神父さんから基本的事項のレクチャーを受け、聖書の「主の祈り」のフランス語朗読を習った。洗礼式においてゴッドファーザーは水をテーマにしたスピーチをしなければならない、と言われ、びびったが、それは件の御婦人による同時通訳付き英語で良いと言う事にして貰った。
 洗礼式当日は、輝くようなアルザスの青い空が広がる日だった。短い間に近所の人に愛されるようになった同僚一家の人柄を物語るように、大勢の老若男女が晴れ着姿で集まって祝福してくれた。
 式の終りに関係者一同教会公式文書にサインする。私は経緯を日本語で記し、漢字でサインした。後世の考古学者が発見したら謎解きに苦慮するであろう。

(11 Apr 2014)

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