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「800字文学館」

仏前で誓う

野瀬 隆平

 白無垢の打掛を身にまとい純白の角隠しをかぶった花嫁が、仲人に伴われてしずしずと入場する。幾度も参列した結婚式の光景と変わらない。
 しかし、ここはホテルの結婚式場でもないし、教会でもない。お寺の本堂である。五十畳はあろうかと言う広い畳敷きの間で、奥の仏壇にはご本尊がまつられている。かすかに漂ってくるおこうの香りが、より一層荘厳な気持ちにさせる。そう、今から仏前で婚礼の儀が執り行われようとしているのだ。花婿は仏に仕える身なので、羽織袴ではなく、衣に袈裟をまとった僧侶の姿である。

 太鼓の音が堂内に鳴り響き、儀式の始まりを告げる。戒師の入堂である。お寺での行事と言うと、どうしても葬儀を連想してしまう。その際には、儀式を執り行う僧侶のことを「導師」と呼ぶが、結婚式の場合は「戒師」と呼ばれるのだ。戒師の導きによって、参列者全員が、数珠を手にして般若心経を唱和する。
 ご本尊に回向し婚礼の儀を啓白したあと、戒師より新郎新婦に数珠が授与される。引き続き指輪の交換と三々九度の盃が交わされるのは、他の結婚式と同じである。

 その後の戒師の訓示が印象に残った。『和漢朗詠集』の中の「嘉辰」と言われる詩を引用しての話である。結婚式では、時たま引き合いに出されるもの。

嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未央
(かしんれいげつ よろこび きはまりなし
ばんぜい せんしゅう たのしみ いまだなかばならず)

 千年、万年と祝ってもその楽しみは尽きることがない、というのが本来の意味である。しかし、戒師はあえて「今、喜びの絶頂にいるであろうが、更にそれを深めてゆくには、これからも末永くお互いに努めなくてはならない」と、戒めを込めた言葉と解釈して、新郎新婦を諭したのである。

 仏教徒であるならば、人生に一つの区切りをつけ、自分を見つめ直す場として、最後を迎える時だけではなく、結婚の際も御仏の前が、ふさわしいのではないかと思った。少なくとも、にわかクリスチャンとなって、教会で式を挙げるよりも。

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