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「800字文学館」

クサヤ食いたし、されど

首藤 静夫

 クサヤの名前だけで顔をしかめる方はこの先ご遠慮下さい。私は好物でもっと家で食べたいのですが妻が許してくれません。臭いが容易に取れないのです。魚焼き器は勿論、家中に残った臭いが消えるには何日も要します。どんな臭いかって? 当ペンクラブの品位に関わりますのでご勘弁を。
 クサヤは伊豆諸島の特産です。ムロアジ、トビウオなどの腸を除いて開きにしたものを、独特の発酵液に漬けこんだあと天日干しにします。加熱すると強烈な臭いを発するため敬遠されがちです。しかし独特の風味があり、コシの強い焼酎・日本酒に良く合うと思います。
 二月ほど前、市場で目にとめ、ついつい買って帰りましたが妻はけっして焼こうとしません。私も半ば忘れていました。ところが先日、あれを焼こうと妻が言い出したのです。オーブントースターを買いかえたので古いのを処分する前にそれで焼こう、クサヤの賞味期限も残り少ない、と。主婦はしたたかですね。

 古いオーブンを寝室前のベランダに持ち出し、アルミホイルを敷き、寝室のファンを回して準備完了、あとはご近所の雨戸が閉まるのを待つだけです。幸い小雨の降る寒い夜だったので案外早く閉まりました。
 クサヤを袋から取り出してオーブンに置きました。長くて入りません。頸部分を折っても納まらず、尻尾も折りと苦戦しました。クサヤのぬめりが指や手についたので癪に障り、強引に押し込んで蓋をしました。
 スイッチを入れてやれやれ。しばらく経って様子を見にいくと寝室が臭っています。どうも電気コード分のわずかな隙間からファンが臭いを逆に吸い込んだようです。すぐファンをとめ、ついでにオーブンの開口部を外側に向けかえようと触ったとたんにアチチッ!
 まだひりひりする指で焼き立てのクサヤを黙々とほぐして口に運びました。翌日、部屋はなんの臭いも残らず、ご近所の苦情もありませんでした。
 これからも続けるかって? まさか! オーブンは今もベランダに放置したままです。

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