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「800字文学館」

東戸塚界隈

大平 忠

 横須賀線・東戸塚駅前に住んで、ちょうど三十年になる。東戸塚の駅は、昭和55年に開設され、当時のJRの駅としては新しい駅だった。この界隈は、かつて神奈川のチベットと言われ、開発の遅れた不便な土地だった。
 ここへ引っ越してきたのは、駅ができて3年経った頃、駅前に最初に建てられたマンションに入った。駅前の原っぱで、たぬきが出たこともある。日曜日には、この原っぱに近在の農家の人たちが集まって朝市が立ち、野菜を買い出しに行った。今では、原っぱは跡かたもなく、デパートや高層マンションが立ち並んでいる。
 当時は、藁葺きの農家が随所に残っていたが、もう見ることはできない。東戸塚から土の匂いが急速に消えてしまった。
 しかし、家から東に10分歩いた丘陵地の尾根に、旧東海道の面影が残っている。保土ヶ谷から戸塚の宿にいたる国道一号線に、箱根駅伝・花の2区の難所、権太坂がある。ここから国道を西へ外れると、約2キロに渡って狭い道幅の東海道が残っている。昔繁盛したと聞く牡丹餅屋の古い家屋、お地蔵さん、一里塚の跡がある。一里塚は原型を留め、道の両側が小高くなって樹木が生い茂っている。権太坂で草臥れた旅人は、牡丹餅屋で一服したのであろう。尾根道を歩くと、今でもはるかに富士山が見える。ただし、建物が増えて見える地点も減ってきたのは寂しい。
 尾根道の東斜面は、梨、ぶどう、柿の果樹園になっており、季節になると買いに行く。横浜ブランド「浜梨」の名が売れてきたのか、最近はすぐ売り切れるようだ。果樹園を左手にして道は少しずつ下っていく。やがて源氏を祭った「白旗神社」の裏手にぶつかる。神社の石段を降りると国道1号線にぶつかって旧東海道は消えてしまう。
 この正月、福岡に住む息子一家を尾根の道へ連れて行った。富士山が見えると孫が喜んだ。
 いつまでも富士山の見える景観が東戸塚に残って欲しいと思う。さあ、寿命との追い駆けっこになりそうだ。

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