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「800字文学館」

渋沢敬三と「アチックミューゼアム」

大月 和彦

 この秋、佐倉市の歴史民俗博物館で「映像民俗学の先駆者たち―渋沢敬三と宮本馨太郎」の企画展があった。

 わが国資本主義の発展の功労者渋沢栄一を祖父に持ち、戦中戦後に日銀総裁や大蔵大臣を務めた渋沢敬三(1896一1963)は、一方で優れた民俗文化の研究者だった。
 この企画展では、敬三と共に各地を歩いて農山漁村の生活を撮影して民俗映画と郷土映画の先駆者とされる宮本馨太郎の業績が併せて展示された。

 敬三は中学時代から動植物の標本や化石を集め、研究者の道を志したが、祖父の強い要請で経済界に入り、多くの会社経営にかかわった。かたわら自邸の一画にアチックミューゼアムを設置して、民俗学、民族学、文化人類学などの若手研究者を集め、学際的な調査研究活動が行うなど、学界に大きな貢献をしている。江戸時代の旅行家菅江真澄の旅日記の刊行にも援助を惜しまなかったことも特記すべき貢献だった。
 民俗学者宮本常一もアチックの所員として四年間ここに起居し、全国の農山漁村と離島を歩いて、膨大な著作をものにした。

 敬三自らも民具の採集や漁業と水産業の研究に業績を残し「豆州内浦漁民史料」の研究で農学賞を受けている。

 また昭和初期から16ミリカメラを手に各地の民具や衣服、祭りや行事、子どもの遊びなどを撮影し、映像民俗学の先駆的役割を果たした。静止した写真と違い、例えば農婦が作業着を付ける手順や動作などが動態的に記録され、貴重な資料となっている。

 企画展で放映された渋沢フィルム「昔時の運輸制度―伊那街道の中馬」は、信州南部と三河を結ぶ三州街道の山村の民具、民俗芸能、家屋の様子、駄賃馬の馬方と道具などの動態的記録で、興味深い。「谷浜桑取谷」は、新潟県上越市の山村集落の小正月行事、鳥追いやサイノカミがいきいきと写されている。

 中国に「月夜獺祭魚」の故句がある。書物を購入しても読まず積んで置くさまが、獺(かわうそ)が魚を捕まえて岸に並べておくのに似ているという意。自から祭魚洞と号した敬三は、経済界と民俗学の世界に生きた巨大な獺だった。

(13・12・12)

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