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「800字文学館」

モスクワからヘルシンキへ(1)

都甲 昌利

 モスクワ在勤時代だから大分前の話である。1967年に赴任した時、丁度、革命50周年の節目で、僅か50年間でアメリカに追いついたと、国中が社会主義の成果を喧伝し祝賀ムードに浸っていた。事実、1961年にはガガーリンを乗せた人類最初の人工衛星を打ち上げ、1964年には世界初の3人を乗せた宇宙船を打ち上げ科学技術の水準は世界最高であった。

 これとは裏腹に一般庶民の生活は貧しく、住宅、食料、日用品は極端に不足し、我々駐在員も如何にして毎日の生活を送るか必死だった。中でもトイレットペーパーやティッシュペーパー、歯磨き粉などは外国から持ち込む他はない。そこで我々は地続きで一番近いヘルシンキへ買出しに行った。

 雪が降る前にと晩秋に当局から許可をとり、私は妻と一緒に車でモスクワを出発した。とにかく初めてのこと、準備が大変だった。モスクワ・ヘルシンキ間約1300キロ、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)で1泊の手配、予備燃料を用意し、詳細な地図がないので磁石も持参した。

 市内を抜けレニングラード街道を北に向かった。道路はコールタールと砂で固めてローラーで平らにした簡単なもので路肩は砂利だった。道路標識はあまりない。ほぼ直線で延々と続く。500キロ先のノヴゴロッドまで車を走らす。風景は平原と深い森が交互に現れる。対向車は数台。森を抜けると目の前が開け、小さな湖が見え美しい風景があったので、車を降りて弁当を食べていたら、どこからともなくパトカーがやって来て「お前の許可証は途中で留まって食事をする許可は入ってない。すぐ立ち去れ」ときついお達し。

 ノヴゴロッドは人口約20万の大都会である。給油をして出発したが、レニングラード行きの出口が分からない。北の方を目指したら見つかった。再び真っ直ぐな単調の道。街の明かりがようやく見えてきた。雑な地図を見ながらホテルに着いた。約12時間の旅だった。

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