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「800字文学館」

旅日記 ― コルフ島の「写楽」―

野瀬 隆平

 船室のバルコニーから、近づきつつある島に目を凝らしていると、突端に特徴のある要塞がかすかに見えてきた。間違いなくコルフ島だ。
 アドリア海に浮かぶこのギリシャの島を訪れるのは初めて。今回の船旅で期待していた寄港地の一つである。

 ガイドは日本人とギリシャ人との混血で、名前を「ナウシカア」という女性だ。「風の谷のナウシカ」で、耳になじんでいるこの名は、ギリシャ神話に出てくる乙女の名前である。日本語で、ユーモアを交えながら案内してくれるのが嬉しい。
 いくつかの観光名所を回ったあと旧市街に入った。ヴェネツィアの統治時代に作られた街並は独特の雰囲気を持ち、世界遺産にもなっている。

「アジア美術館」は、その市街地の一角にあった。ここに、一万点以上もの日本の美術品が収蔵されているのだ。数年前に、その中に写楽の肉筆画があることが判り、大きな話題となった。扇面に描かれた役者絵である。
 何故、日本から遠く離れた小さな島に、かくも多くの日本の美術品があるのか。興味をそそられる。
 ギリシャの外交官であったグレゴリオ・マノスが、ジャポニズムの影響か日本の美術品に傾倒し、私財をなげうって多くの作品を収集した。
 晩年になって、さて、これらの美術品をどうするかと悩んだ。フランスの美術館から買い取りの申し出もあったが、これを断り、結局、生まれ育った国、ギリシャに残すことを決意した。しかし、アテネなど本土では、他国に侵略される可能性もあり不安である。そこで思いついたのが、文化を大切にし、かつ安全で、しかも美しい島こそが、美術品を保存するのにふさわしい場所だと考えるに至った。そこで、政府に働きかけて、コルフ島に美術館を作って収蔵することにしたのである。マノスは、美術館が出来てすぐに他界した。

写楽の肉筆画はまだ公開されていないものの、他の日本の美術品を見たいと思ったが、ツアー旅行の悲しさ、時間がなくて残念ながら貴重な機会を逃してしまった。

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