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「800字文学館」

笑いといっても

首藤 静夫

 その昔、土曜日が出勤日であったころのことである。都会地区では、出勤の土曜日は午後から退社フリー。工場から東京の本社に転勤して独身だった私には、楽しい一時だった。寄席にも度々通った。柳家小三治の滑稽話などに笑いころげたものだ。その時の小咄の一節。

 床屋で、ヒゲ剃り前の蒸しタオルが顔に乗せられ、あまりの熱さに
 客: あっちち。亭主、熱いじゃねぇか!
 亭主:へえ、あっしも熱くて持ってられなかったもんで。

 床屋話といえば、志賀直哉の短編小説「剃刀」も若いころに読んだ一冊。
 剃刀名人と評判の床屋。ある時、ひどい風邪でめまいがするのに、客を断れない。ふるえる手で剃刀を持ち、客の顔をあたるが、いつも通りにいかない。水洟、高熱などでイライラが嵩じる。ついには錯乱状態に陥って、客の喉を剃刀で掻き切るという筋である。

 ところで、私が半年ほど前に利用しはじめた理髪店がある。
 店主は人のいい、話好きで、雑談をまじえて気持ちよく髪をカットしてくれる。ところが、無口なおかみに交代して、顔をあたられる番になると、様子が変わるのだ。蒸しタオルを顔に乗せられたまま、沈黙が続く。色々なことが頭に浮かぶ。先ほどの床屋話もそうである。

 志賀直哉の方は、浮かんできても、喉元がスースーする気持ち悪さを、我慢すればそれですむ。
 問題は小三治の方である。彼の角刈りの頭や真面目ぶった表情、それにぶっきらぼうな語り口が、時に頭をよぎる。まずい、とこらえにかかるが、吹き出すのである。

 蒸しタオルならまだしも、剃刀の時はつらい。仰向きの無防備状態で、「その時」に備えなければならない。笑いが出てきそうな感じになると、両手をきつく握りしめたり、深刻な何かを急いで考えたりするが、効果は乏しい。
 しゃっくりに近い笑いが急に出る。体もピクリとするから、頬か顎くらいに刃があたらぬとも限らない。おかみは手を引っ込めて、けげんそうにする。笑い、といっても大変なのだ。

(2013・10・10)

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