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「800字文学館」

残すは借金か、財産か

野瀬 隆平

「私たちが享受している医療や年金、安全などの行政サービスの財源はその半分を借金でまかなっているのだ。いわば、子どもたちやこれから生まれてくる世代へのつけ回しである」
 ある新聞に掲載された「子どもたちに何と言う?」と題した記事である。目新しい意見ではない。むしろ、言い古された陳腐な表現と言ってもよい。
 国が大きな借金を抱えていることを、よいと思っている人は誰もいない。しかし、子や孫につけを回しているという言い方は、どうもすんなりと頭に入ってこない。私たちが現在、享受している物や医療などのサービスは、言うまでもなく、すべて今日生きている人たちの働きによって支えられている。

 営々と働いてきた我々は、次世代につけを回すどころか、莫大な資産を残すのではないか。よく耕された田畑は言うに及ばず、整備された都市のインフラ、病院や医療に必要なサービスの提供。どれ一つとっても世界に冠たるものだ。こんな素晴らしい社会に生まれてくる子供たちは、何と幸せなことか。戦争に敗れ何もない焼け野原に生まれ育ち、働いてきた人間と比べるまでもない。その零から築き上げた資産を、そっくり残してゆくのだ。

 本当に「つけ」と言えるのは、将来、外国から借金の取り立てがあるとか、使役を強要されることである。極端な話ではない。第二次大戦後、現実にあったことだ。勤めていた工場で従業員が汗水流して造った船が、日本が犯した戦争の罪の賠償として、ただでさる国に引き渡された。
 戦争中の悪事を、今でも近隣諸国から追求し続けられているが、これこそが真の意味でのつけである。膨大な後処理費用の掛かる原発を残すことも、我々世代に直接責任のある負の遺産であろう。

 国債の残高をもって借金を残すと言うのならば、国が持つ資産や国債に見合った「債券」を保有している人の財産も、同時に引き継がれる事を勘定に入れなければ、バランスを欠くと言うものだ。

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