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「800字文学館」

夏泊半島のツバキ

大月 和彦

 陸奥湾の北に突き出した夏泊半島の先端は、古くから椿の群生地として知られている。
 半島の付け根にある小湊(東津軽郡平内町)からバスで東海岸を北上すると、30分ぐらいで先端にある集落東田沢に着く。
 郵便局や警察官駐在所がある大きな集落で、港には多くの漁船が係留されていて、岸壁に魚網や浮きなどの漁具が雑然と積み重ねられている。養殖ホタテが盛んなところで、水揚げ日本一の「ホタテ王国」だという。
 集落の北のはずれが天然記念物「ツバキ自生北限地帯」。ここに椿明神が祀られた椿神社がある。
 海岸までせり出した山の斜面にヤブツバキの大木がジャングルのように生い茂っている。北国の海岸に、熱帯系の照葉樹が群生しているのは不思議な光景だった。

 寛政期のある年の春、旅行家菅江真澄は、かねてから面白いところと聞いていた夏泊半島の椿山へやってきた。2年半滞在した下北半島から南部と津軽の藩境の関所を越え、小湊から海岸を歩いて岬に着き、椿明神の祠にぬかずいた。
 ここで椿にまつわる悲しい物語を聞き、旅日記に記している。

 文治年間のこと、この浦に美しい娘がいた。毎年他国からやってきて木材を積んでいく船の船頭とねんごろになり、ちぎりを結んだ。ある年 男が帰る時、都の人が化粧に使う椿油がほしい、来年来る時は椿の実を持ってきてくださいと頼む。
 一年待つが船は来ない。翌々年も来なかった。娘は約束に背いた男を恨み、悲しんで海に身を投げてしまう。村人は女を岬に葬った。
 その時船が来た。男はこれを聞いて嘆き悲しみ、持ってきた椿の実を女の塚の周りに埋める。やがて芽を出しこれが椿の林になったという。

 民俗学者柳田国男は、この物語は、夏泊半島、男鹿半島、津軽深浦など北国の海辺に群落をつくる椿は、その地に自生したものではなく、南の国から人の手によって稲作や習俗信仰などと共に運ばれたことを示しているとする。椿は雪国の人たちの春を待つ心情にぴったりの「春の木」だったのである。

(13・8・8)

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