作品の閲覧

「800字文学館」

歌舞伎界の大御所・河竹登志夫氏の逝去

都甲 昌利

 去る5月6日、河竹登志夫氏の訃報を各紙が伝えていた。いずれも彼の輝かしい経歴と業績が載っていた。享年88。歌舞伎役者ではないが、日本の歌舞伎を発展させ世界に広めた功績は大きい。
 彼は江戸時代から明治時代にかけ活躍した歌舞伎作者・河竹黙阿弥の曾孫で父に早大演劇博物館長だった河竹繁俊氏を持ち、恵まれた歌舞伎界の雰囲気の中で育った。
 しかし、その彼が湯川秀樹にあこがれて東大の物理学科に入学、卒業するという変わった人生を歩み始める。卒業後、血が騒ぐのか、早大文学部演劇科に入り直し、大学院を経てハーバード大学に学ぶ。帰国後、日本の演劇芸能と欧米のそれとを比較し昭和42年に『比較演劇論』を刊行,芸術選奨新人賞を受ける。
 私の興味を引いたのは彼が米国滞在中はニューヨークで演劇やミュージカルを毎日に様に見て歩いたということである。演劇論を書くのは勿論、関係書物を読むことだと思うが、それにもまして実際の舞台やミュージカルを観ることに専念した。ニューヨークのブロードウエイは世界中から一流のアーチストが集まり、素晴らしい教材を提供してくれる。一流の料理人が一流のレストランで食べ歩くのと似ている。

 彼の歌舞伎論がユニークなのは西洋のオペラを知悉していて、その比較において論ずる点だ。また、『比較演劇論』を出版した後、昭和64年に『歌舞伎美論』を著し、歌舞伎を美学の観点から論じている。そういえば、歌舞伎の舞台は華麗で役者の衣裳も美しい。日本美というものだろう。近年、欧米のオペラの舞台装置が経費削減でみすぼらしい物になっているのをみれば、日本の歌舞伎が如何に豪華なものであるかが分かる。この様な伝統はぜひ残してほしい。

 彼の功績はまた、歌舞伎を世界的にしたことだ。戦後の海外公演は84回  に及ぶ。先に十二代目団十郎や十八代目勘三郎と言う名優を失った歌舞伎界だが、河竹登志夫という偉大なプロモーターを亡くしたことは大きな損失だ。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧