作品の閲覧

「800字文学館」

持続可能な社会に向けて、「不定時法の復活」

池田 隆

 日本人は約束時間をよく守る。公共交通機関も時刻表通りに運行する。この時間意識を吾々の美徳と思っていたが、考えが少し変ってきた。
 働き盛りの勤め人が朝から疲れきった顔つきだ。時間に追われ、日常の幸せを犠牲にしている。
 そもそも「時間」とは何か。
 地球の自転周期(一日)を分割して、時間を定める方法には、「定時法」と「不定時法」がある。前者が昼夜通して等分するのに対し、後者は日の出と日没で昼夜を分け、各々の半日を等分する。時間の長さが昼夜と季節によって変動する。
 交通網や情報網が拡大した現代社会では、不定時法は不便極まりないと思える。しかし機械式時計が普及するまでは、洋の東西を問わず、便利な時法として用いられた。日本でも江戸期を通じて不定時法が使われた。
 人間を含め生物の遺伝子は、昼夜変化に同調する不定時法の体内時計を持つ。その概日リズムによって、不定時法ならば睡眠不足による情緒不安定は起こりにくい。都会人が失った自然に対する感性も復活するだろう。省エネ効果についてもサマータイム制よりは人に優しい。
 田中久重は両時法に対応できる精巧な機械式の万年大名時計を考案した。ただ大がかりで高価すぎ、一般に普及する代物ではなかった。ところが、今では機械式時計に代り、電子式時計や携帯用端末が普及した。それらに両時法表示の機能を持たせることは、技術的にも価格的にも簡単である。

 江戸期には昼夜各々を六等分して、時間単位の「いっとき」(約二時間)とした。それに合わせ人々の時間意識も大まかであった。明治期以降も農村では、昭和三十年の新生活運動で時間励行が全国的に叫ばれるまで、時間にかなり無頓着であった。
 また最近の学生は集合時刻を決めず、携帯で連絡を取りながら、適当に集ると聞く。時間に対する社会の気風も変りつつある。
 いつまでも機械式時計に由来する定時法のみに拘ることはあるまい。両時法併用の地域的な社会実験でもしてみたい。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧