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「800字文学館」

寝台車は北極圏へ

志村 良知

 1998年5月の末、ノルウェー周遊の旅をした。
 古都トロンハイムの駅のホームは、白夜でボードー行列車発車時刻の23時10分でも顔がはっきり判る位の明るさだった。寝台車の外に赤ちゃんを囲んで泣いたり笑ったりの三人がいる。
「あれはきっと実家で出産したママで、赤ちゃんとパパの所に戻るんだよ」、「爺婆には初孫だね」などと連れ合いと話す。
 二等寝台はコンパートメントで、進行方向と直角に三段の寝台があり男と女は別々になる。相部屋の二人と挨拶を交わし、連れ合いの状況や如何にと偵察に行くと、なんとあの若い母親と赤ちゃんと同室になっていた。やはり実家で女の子を産み、身二つになってボードーの夫の許に帰る旅だった。
 自室に戻り、六日前から寝酒に飲んでいるチューリッヒ空港免税店で買ったシングルモルトの残りを、うがい用紙コップに注ぐと、壜は空になった。

 目が覚めると6時頃、同室の二人は途中下車したらしく、私一人になっていた。通路に出て、壁に組み込みの折畳み椅子を開いて掛け、所々雪が残る寒そうな景色を眺めていると、一人のお年寄りが日本人かと英語で話しかけてきた。彼も並んで座り、その冬あった長野オリンピックの事などを話す。ノルディック複合のルール変更はアンフェアだと意見が一致して盛り上がる。フランス・ワールドカップでのお互いの代表の健闘を祈って固い握手を交わす。
 女二人も通路で話し込んでいた。ボードーの手前で彼女の家が見えるのだという。ビュッフェで朝食後、荷物をまとめて降りる準備をし、三人並んで窓にくっついた。「ほら、あれあれ、判った?」彼女が興奮して叫ぶ、「ごめん、判んなかった」と連れ合い。

 9時45分、海に向かって行き止まりのボードー駅のホームには長身の若いパパが乳母車を用意して待っていた。熱烈な抱擁とキスシーンが眩しい。
「風の町ボードー」の刺すような風が若い一家は避け、こちらに吹きつけてくる。ここは北極圏なのだ。

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