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「800字文学館」

新歌舞伎座へ行って来た

都甲 昌利

 約三年ぶりに歌舞伎座が銀座に戻ってきた。それまで新橋演舞場や日生劇場などで上演されていた。素人歌舞伎ファンとしては新歌舞伎座と設備の比較をするのに役に立った。新橋演舞場は造りが歌舞伎座と似ているが、日生劇場は趣が違っている。日生劇場はロビーなどパブリック・スペースがたっぷりとってあり、椅子やテーブルが沢山あり、ゆっくりと食事が出来る。
 歌舞伎もオペラも幕間がある。この時間に観客は食事をしたりワインを飲んだりする。
 これに反して歌舞伎座はロビーが狭い。食堂はあるが全員を収容できない。幕間に弁当を食べようと席を立ってロビーに出た。テーブルはなくソファーがあるだけで、既に先客が占拠していた。やむを得ず座席に戻り食事をした。

 そう言えば、歌舞伎の食事は座席でするのが一般的だと聞いていた。江戸時代の庶民の歌舞伎見物の絵をみると、皆座席で飲食をしている。この伝統引き摺っているのかもしれない。
 新歌舞伎座は内観や外観は伝統を継承し、更にバリアーフリーなど現代技術が随所に取り入れられて、高齢者や身障者には良い環境で観劇できる。地下鉄東銀座駅に地下で繋がって利便性を増した。

 「杮葺落四月大歌舞伎」と銘打っての演目は三つで、最初が昭和二年昭和天皇の即位の奉祝曲として作られた舞踊劇「寿祝歌舞伎華彩」、坂田藤十郎、市川染五郎らが華麗な舞踊を見せる。天皇・皇后両陛下もご覧になられた。亡くなった団十郎が藤十郎と共演を望んでいたものだ。「四月の新歌舞伎座の舞台まで生き抜く」とまで語っていたそうだ。東の雄と西の雄が共演することで新装成った歌舞伎座が映える。残念だ。
 次は「お祭り」。昨年急逝した十八世中村勘三郎を偲び息子の勘九郎と巳之助らが出演し、江戸時代の赤坂・日枝神社の山王祭りを法被姿で賑やかに踊る。
 最後は「熊谷陣屋」で次郎直実が敦盛を助けるためわが子を犠牲にする物語。
 二大役者の亡き後、若手が頑張っているという印象を受けた。

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