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「800字文学館」

津軽西目屋村(その2) 乳穂(にほ)ヶ滝

大月 和彦

 江戸時代の旅行家菅江真澄は、津軽に前後合わせて7年半滞在し、マタギ集落や鉱山跡など各地を訪ね歩いた。
 この間天明の飢饉に遭遇し、山道に散乱する餓死者の白骨を踏み分けて歩くなど悲惨な光景を目の当たりにした。

 飢饉の惨状を見た真澄は、その後の旅で各地の農民が行う作物の豊作を祈る正月行事を注意深く観察した。なかでも西目屋の乳穂ヶ滝で行われる氷の形により豊凶を占う神事に関心を持った。
 凶作が常態化していた津軽では、稲作の豊凶は藩政にとっても関心が高く、津軽川の上流白神山地の麓で行われるこの豊凶占いは、藩から使者が来て行う重要な行事だった。
 寛政年間のある冬、真澄は乳穂ヶ滝に向かった。

「道の傍らの鳥居をくぐると、世中滝といって、その年の作物の豊凶を占う習俗をもつ滝のもとに出た。20尋ばかり高いところから村雨のように、はらはらと落ちかかっている。下方の岩を新穂石といって、稲の新穂を束ねた形をしたところに水が凍りついていた。日が経つにつれて氷が積み重なって新穂を積んだようになる。その程度により豊凶を占う。この行事は宮中で行われる、ひいけ祭りと同じ」と記している。

 辺境の旅が好きと言う友人と1月中旬、乳穂ヶ滝に行ってみた。
 今年は雪が多く、弘前市内は1mぐらい、西目屋村に入ると1・5mになる。路線バスは小さな集落を丹念に寄っていく。かつてはマタギが住んでいたいくつかの集落はダム工事で移転し、バス停だけが残っている。世界遺産地域の手前の川原平が終点。折り返す同じバスに乗り、西目屋の中心集落の手前で降りる。
 杉木立の沢筋を登り、小さな鳥居をくぐると、高さ30mの岩から水が滑り落ちていた。滝が落ちるところに稲穂を束ねた形の岩が横たわっている。両岸には氷が薄く張っている滝はまだ凍っていない。
 かたわらの祠に「2月第3日曜日 乳穂ヶ滝氷結祭」とあった。
 今年の豊凶占いはどうだったのだろうか。

(13・4・11)

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