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「800字文学館」

夢見るビートルズ

志村 良知

 ビートルズ五十年だそうである。
 高校生になった頃、日本でも『抱きしめたい』『プリーズ・プリーズ・ミー』で社会現象となり、マッシュルームカットが流行した。勿論私もそうした。
 しかし、ビートルズへの思いは『愛こそは全て』や『イエスタデイ』とともに屈折し、高校を卒業する頃には決定的となった。ビートルズを語るに最も重要と言われる『ヘイ・ジュード』の登場である。「ジュードよ、落ち込むなよ」と歌い出す、人を慰め励ます歌の代表で、文句なしの名曲である。

 ビートルズ世代という、青春はビートルズと共にあったと自称する世代がある。団塊の世代とほぼ一致し、かくいう私もそこに属する。
 ビートルズは、ラブ・ソングのロックバンドとして世界制覇したのであるが、まもなくロックから離反し始め、日本デビューからたった四年の『ヘイ・ジュード』で、あっちの世界に行ってしまった。
『抱きしめたい』にとびついた十代が、こんな勢いのビートルズの変化(変節)に付いて行ける訳もない。汚い格好で座り込んで歌った『愛こそは全て』は情けないだけだったし、『ヘイ・ジュード』さえ当時は「ふん」と思い不満だった。解散後の『イマジン』などは今でもどこかから聞こえてくると気恥ずかしい。いい歳して、甘ったれんじゃねえよ。
 初期のロックバンド時代のビートルズを体で受け止めなかった上下の世代は『ヘイ・ジュード』を素直に受け入れ、さらに『イマジン』に畏れ入る、と言うファン世代別の複雑なねじれ現象があるようである。しかし、ビートルズ世代で組んでいるコピーバンドのレパートリーは圧倒的に初期のラブ・ソングか、せいぜい『イエスタデイ』である。
 ビートルズ世代のおじさんで、『イマジン』には畏れ入っている、という人がいたらそれは同世代の言葉で言うと「日和っている」に違いない。
 と言いつつ、セントラル・パークでIMAGINEのレリーフの前で撮った写真の私は妙にかしこまっている。

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