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「800字文学館」

暖炉を焚いて

池田 隆

 かつて肌寒い季節になると、暖炉を焚くのが日課だった。炎を見ていると、身体だけでなく心も温まり、穏やかな気持ちになる。
 暖炉を好きになった切っ掛けは、三十五年ほど前にカナダの東海岸へ出張した時である。ノバスコシア州の北端にある火力発電所へ、数回にわたり機器メーカーの設計技術者として出掛けた。
 大きな都市から遠く離れた、出入りの激しい海岸線をもつ風光明媚な地域である。冬には海が一面真っ白に凍り、氷上を橇が行き来する。夏には沖をヨットが馳せ、湾内に漁業用の筏が静かに浮かぶ。
 業務で折衝するカナダ側顧客の紳士的な態度には感服した。技術的には実に鋭いが、国内電力の顧客のように我々を見下したり、中東やアジア諸国で受けたような理不尽な言動がない。それどころか、仕事が終わると、我々を彼らの家へ替るがわるに招待してくれた。
 家の前の海に仕掛けた籠を引き上げ、バケツが一杯になるほどロブスターを捕まえる。それを暖炉で焼きながら、ご家族ともども火を囲み、ビールを飲み、楽しい歓談の時を過ごす。改めて、暖炉がこれほど人間関係を和ませることに驚いた。

 当時、わが家の息子・娘は中学へ進学し、家族と団欒を楽しむより、各自の部屋にこもってしまうことが多かった。バラバラの家族になるのを心配した私は、帰国後にさっそく自宅に暖炉を設置した。
 火の魔力は凄い。親は煙たいが、暖炉の煙たさは気にならないらしい。何とはなしに皆が暖炉の前に寄ってくる。電気やガスの暖房機にはない効能である。何を話さなくても心が温まるようで、暫く火にあたり、また自室に戻っていく。
 今ではその子たちもそれぞれ一家を構え、自分の家族を束ねるのに苦労している。わが暖炉を焚くのも、子や孫が大勢集まった時だけになった。しかし、暖炉を焚くと当時の家族の様子に加え、カナダでの経験が頭に浮かぶ。歓待してくれた顧客の名前や顔は思い出せないが、彼らの暖かい心使いは忘れられない。

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