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「800字文学館」

妻の企み

濱田 優(ゆたか)

 ある朝、由美が朝食の仕度をしていると、
「う~ん、また下がった」
 居間で新聞を見ている夫の小さな呻き声が聞こえた。思惑が外れて持株が下がり続け、大損をしているのだ。なのに由美は怒らず、なぜか忍び笑いしている。

 夫の信康が卒サラしたとき、老後に備えて退職金の一部を株式投資に向けたいと言い、妻の理解を得ようと、ゼロ金利とかインフレ懸念について説明してくれた。けれど由美には難しくてサッパリわからない。ただ、「生活費には手をつけないで」と念を押した。
 出だし彼の株取引は順調で、最初に買った株は、一月で一割上がったと自慢した。が、そのうち株の話は余りしなくなり、由美が水を向けても「勝ったり負けたりだ」と言うだけで多くを語らなくなる。
 怪しい。彼女は、夫と共用のパソコンでアクセスし、内緒で投資成績を調べてみた。たまに勝っても負けが混み、結果、ここ半年で投資金を三割も減らしている。すぐ止めさせないと、老後の備えはおろか生活費にも食い込む。

 しかし、今、彼は株にのめり込んでいて、妻のいうことに耳を貸しそうにない。夫に知られずに、これ以上損失を増やさない秘策はないものか。
 そこでふと、高校のクラスメイトで証券会社に勤めていたK君を思い出し、相談した。彼は、手はなくはないけど……と言葉を濁す。由美は強引に頼んで、その方策を伝授してもらった。
 それはあまりにも簡単、株の知識も経済の理解も不要だ。信康が買った株を空売りし、彼がその株を売った時に買い戻す、ただそれだけ。彼が損をすれば由美は儲け、彼が儲かれば彼女は損をする。夫が腕を上げて勝率が上がり、儲けが出るようになれば由美は株をやめればいい。

 だが、その後も止まることなく彼の預金は減り続け、その分由美の口座の残高は増える。あたかも夫の資産を妻に移したように。これで生活の不安はひとまず遠のいたものの、心配の種は尽きない。
 最近、夫がやつれて痩せ細り、由美がじわりと太りはじめたのだ。

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