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「800字文学館」

ヘボン博士と女優ヘプバーン

野瀬 隆平

 幕末から明治の初めにかけて来日した外国人の多くが、日本の文化に大きな影響を与えた。その一人にアメリカ人の宣教師であり医師であるヘボン博士がいる。

 宝井馬琴はこの博士の功績を題材にして、「横浜のヘボン博士」という講談を創作した。若い女性の講談師が横浜でこれを語るけれど、聴きに来ないかと誘われ、出かけてみた。「にぎわい座」の地下にある小ホールは大入り満員。

 博士が来日した当時、目を患っている人が多く、医師として治療に尽くしたことも数ある業績の一つである。結局、33年の長きにわたって日本に滞在するのだが、その間に収集した日本語を、『和英語林集成』と題する見出し項目が2万語を超える和英辞書にまとめ出版した。慶応3年(1867年)のことである。この辞書で、日本語を外国人でも発音できるようにローマ字で表記したのが、我々が今日使っているヘボン式ローマ字である。
 俗語や古語も含むこの辞書を見ていると、当時の風俗や古い時代の日本の情緒を、アメリカ人がどのように観察し、感じ取っていたかが分かって、興味深い。例えば、
 Jinriki-shaの項を見ると、ジンリキシャ 人力車 A small two-wheeled cart drawn by a man. とある。また
 Awareは、アハレ 哀 Pity; Compassion; tenderness of heartとなっており、用例として、mono no ______ は、”the sentiment or emotion excited by any things.” となっている。

 ところでご存じのとおり、「ヘボン」というのはアメリカ人の名前であるHepburnを当時の人たちが、聴いたとおり素直に日本語で表記したものである。なまじ綴りを知っていると、ヘップバーンと読むことになる。同じ名字を持つアメリカ人が、発音次第で、全く別の人物に結びつくのが可笑しい。後の読み方をすると、あのキュートな世界的名女優、オードリー・ヘプバーンを思い起こし、「ローマの休日」を連想することとなる。あれ、ここにも「ローマ」が出てくる。偶然にしても面白い。

 蛇足ながら、ヘボン博士が編纂した辞書には、「米国 平文先生著」とある。Hepburnは漢字で書くと「平文」でした。

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