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「800字文学館」

おかみ雑感

稲宮 健一

 おかみと言う言葉は最近使わない。しかし、官尊民卑が普通だった一世代前にはよく耳にした。役人の役割が下がったのか、民間の力が上がったのか、両方だろう。かみさんとなると、別のえらい方になる。

 おかみはお上であり、自分より上の偉い方という意味合い以外に、日本の神に通じる言葉だ。日本の神の起源は深い森に漂う自然への畏怖である。皇室の起源とも結びつているが、皇室よりもっと奥にある自然への畏怖で、何も日本だけでなく世界の各地にみられる素朴な民情だ。何か自分たちより上に畏怖の念を持つものが存在するという観念は非常に大切だ。

 さて、日本の周囲を見渡してみよう。潜在的にロシア正教の影響化にあったソ連と、社会の秩序を説いた神を持たぬ儒教下の中国と比較すると面白い。ソ連では労働者による理想的な社会を築くはずが、現実には硬直化した官僚支配の社会となり、段々と身動きが取れなくなり、破局に突き進んだ。最後に人間の作ったものの限界を知り、自ら過去を否定し、二度とレーニンや、スターリンに戻らなかった。やはり、ドストエフスキーを生んだ国は根本を見直すことができた。

 これに対して、中国でも現政府はソ連と同様に初当は躓きの連続であった。ようやく改革開放経済で息を吹き返したが、過去の失敗は不問に付し、一党独裁の市場経済社会主義という独自の社会を創り出した。法治でなく、人治と言われている中国には、治めるという行為に理念は異なるものの、王朝支配の影響が染みついているのか。古来の王朝から、つい先頃王朝まで、皇帝は絶対権力者でその上は仮想の神秘性のない龍しかいない。後継者であろうと、先の皇帝を否定すると、王朝が瓦解する。従って、先駆者の残した社会の矛盾に手が付けられない。

 ただ、自らの社会の矛盾から内部の目をそらすため、反日の看板を掲げるのは他人迷惑だ。厄介な隣人だが引っ越すことも出来ない。もっと大人になってもらいたい。

(二〇一二・一〇・一一)

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