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「800字文学館」

原発事故の遠因

小寺 裕子

「プレミアムなブラック登場」「コシがある」「特殊発泡体製法」「ストラップ付きホルダータイプ」これらは、何の広告かと思いきや、消しゴムだ。三ミリから六ミリの消し幅の選べる「ミリ消し」なる製品まである。消えるペンタイプの発売は、かなり話題になった。

 私は小学生の時に、アメリカに引っ越したが、驚きの一つが文房具だった。鉛筆は持ってくるな、と言われた。当然、消しゴムも出番がない。
 アメリカでは、計算も文章を書くのもいきなりボールペンだった。ルースリーフの紙はふんだんに使う。計算間違いは、赤ペンで修正する。紙は汚くなるのだが、どのような間違いをしたのかは、ずっと残る仕組みだ。考えてみると、日本では何度でも練習して、正解を得ることが重視されている。どのようにして正解に到達したかの過程は軽視されている。また、全てを消しゴムで消してしまうので、自分がいかなる間違いを犯しがちなのか、傾向を振り返ることもない。
 正解が神聖視されているといってもいい。正解という神があたかも存在し、それに至る過程は汚れているので、消しゴムで清めるべきというに等しい。

 実は東電は消しゴムのお得意様らしい。一時代前の会議では、外人が「なぜそれほど消しゴムを使うのか」と訝っていた。
 二〇〇二年に二十九件ものデータ改ざんで、東電の社長が辞任した事件のきっかけは、GEI社のアメリカ人の内部告発だった。福島第一の一号機の蒸気乾燥機が百八十度間違って取り付けられ、たくさんのヒビ割れが見つかった。東電は報告書の指摘箇所の削除と、あろう事か、ビデオ映像の削除を求めた。技術者は東電立ち会いのもと削除した。ところが、ビデオ映像の削除では、優秀な消しゴムとは違って、削除した痕跡が残ってしまう。それで、削除した事実が発覚してしまった。

 こう考えてみると、今まで誇らしかった日本の消しゴムも少し色あせて見えてしまう今日このごろである。

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