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「800字文学館」

原子力行政を批判し続けた男 その二

小寺 裕子

 七月から大飯原発三、四号機の運転が再開された。野田首相自身、国論を二分した決定だと述べている。政府は安全性が確認されたので、運転を再開したと言う。本来は個別の原子炉でなく全体像から判断すべきだ。
 武谷三男は一九七六年の著書で、「原子力はまだ人類の味方でなく、恐ろしい敵なのである」と述べている。その事実はたったの三十数年で変わるものではない。
 百歩譲って、原子炉自体の安全性が確保されているとしても、原発は熱汚染、温排水公害を起こしている。熱エネルギーを電力に変える効率は、火力発電が五十%、原子炉では現在でも武谷が言っていた三十三%のままである。熱は冷却水をとおして、海に放出されている。
 さらに大きな問題は放射性廃棄物だ。武谷も、「便所のないマンション」が次々と建てられているという比喩に言及している。福島では四号機の建屋の屋根などが、水素爆発で吹っ飛び、傾いた。今でも千五百三十五本の使用済みと未使用の燃料棒がある。事故後、冷却のため注入された海水による腐食などを調べるため、燃料棒を二本取り出してみるというニュースが十八日報道された。使用済みのは危険すぎて取り出せないという。しかも今も水を循環させるパイプは仮設で、耐震性が危ぶまれている。
「我々が経験したことのない危険な大量の放射能を狭い国土のどこかにかかえこむことになる」との武谷の言葉は現実となった。こんなことは誰が考えてもわかっていたはずなのに、なぜ性急な原発建設が行われたのか。
 戦後の復興、科学信仰など時代背景はあっただろう。建設賛成派は反対派の意見を聞く耳を持たない。全体像を見ようとしない賛成派を同じ土俵に引きずり込むことはできない。
 武谷も無力感に襲われたのだろうか。しかし彼には、特高に逮捕された時も支え続けてくれた医者の妻がいた。学生だけでなく、病院関係などたくさんの人に囲まれていた人生だったようだ。

(2012・7・20)

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