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「800字文学館」

陸中海岸小子内(おこない)浜再訪

大月 和彦

 今年3月に全線復旧したJR八戸線を南下する。一時間ばかり走ると海岸に積まれたガレキが目につくようになる。陸中八木駅で降りる。津波で流された跡に建てられた簡素な木造の駅舎。
 旧久慈街道を南に向へ15分、丘を越えて下ると、浜にそびえる防潮堤と背後の丘陵に挟まれたすり鉢の底のようなところにあるのが10数戸の小子内の集落。道沿いの畑に「清光館」跡の記念碑がある。

 大正9年東北を旅行した柳田国男が泊まったのは「古く黒いが、若い夫婦が想像以上に親切にしてくれた」清光館という宿だった。6年後再び訪れると一家は離散し、跡かたもなかったという短編。
 当時の小子内は、八戸と久慈を結ぶ街道に面し、人馬の往来が多く、またこの浜で大量のイワシが獲れ、活気に満ちていたという。
 この短編が高校の教科書に載って世に知られるようになると、訪ねてくる人が多くなり、昭和59年に地元の人が宿の跡地に記念碑を建てた。

 5年前清光館跡を訪ねた時は、作品から想像された広場や井戸、浜辺など集落の様子が違っているのに落胆した。
 今度訪ねてみると小子内は変わっていなかった。近くにいた老人に聞くと、東日本大震災では、高さ14mの防潮堤はびくともせず、巨大な津波から集落を守ってくれた。一部の家屋が浸水したものの大きな被害は免れた。この防潮堤はここを地盤とする有力な政治家の尽力で戦後に完成したという。

 昭和8年の三陸大津波でこの村は死者六人、流失倒壊家屋6戸の大きな被害を受けた。翌年村の中心部に「_陸津浪救命碑」が建てられた。碑面には、
 一 地震があったら津浪に用心
 二 津浪が来たら高いところへ
 三 あぶないところへ家を建てるな
と彫ってある。防潮堤ができた後もこの教訓が生きていたのだろう。

 防潮堤に上ってみる。老女が浜で拾ってきたコンブを干している。5年前、ここでコンブを広げていた80歳だという女性がいたことを思い出す。本人は覚えていなかったがその人に間違いなく、3・11では一晩だけ高台に避難したと話してくれた。

(12・7・11)

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