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「800字文学館」

「軍艦島」随想

池田 隆

 軍艦島を訪れ、数世紀後にタイムスリップした自分が遺跡化した現代都市を見学している想いに駆られた。
 軍艦島(正式名 端島)は長崎半島の沖に浮かぶコンクリートジャングルの小島である。現在は無人島だが、明治三年の開坑より昭和四十九年の閉山まで一世紀にわたり海底炭鉱の拠点であった。採掘される良質な石炭が黒ダイヤと持て囃された戦中戦後には人口五千人に達した。
 高人口密度のため大正五年に日本で初めて鉄筋コンクリートの集合住宅が建てられ、引き続き鉱員用の住宅、学校、病院などの高層建築が立錐の余地がない程に岩礁の島に建てられた。それらは互いに屋根つきの回廊で連結されていた。自然の草木は皆無だが、屋上や階段回廊は菜園や公園にも利用された。東京オリンピックの時には全家庭にカラーテレビが普及するほど平均の生活程度は高かった。
 閉山後に島への立入りは禁止されたが、近代産業遺産として世界遺産の候補となり、平成二十一年より上陸観光が一部許可された。
 さっそく私も観光船で見学に出掛けた。遠くから眺めると、たしかに軍艦に見える。
 上陸するとその無残な廃墟姿に愕然とした。台風や高波、潮風に晒されたと云え、あの頑丈そうな鉄筋コンクリート建造物が四十年足らずの風化でこれ程になるものか。
 現在は辛うじて当初の骨組みを保っている建物も多いが、年を追って崩れ落ちているという。その崩壊過程は人の手が届かなくなった後の鉄筋コンクリートや鉄骨構造の高層建築について過酷な条件下で実体の耐久加速試験を行っているのと同じである。
 軍艦島での追跡調査は建築史的関心から過去へ目が向きがちだが、むしろ将来の諸施策立案の貴重な資料となる筈だ。我々世代は何事も目先の有用性を重視して物の技術開発や経済活動を行ってきた。物が不用になった後の処置までは気配りが足りなかった。この軍艦島は将来何世紀も見据えた建造物や都市計画を考えるときに大切なヒントを与える宝島である。

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