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「800字文学館」

中尊寺鎮守白山神社

大月 和彦

 参拝客でにぎわう月見坂を上りきると中尊寺金色堂前の広場。この北側に鮮やかな朱の鳥居が立っている。くぐり抜けて奥へ行くと「中尊寺鎮守白山神社」がひっそりと建っている。破風屋根の拝殿の前には徑2mぐらいの茅の輪がある。おみくじやお札の売店に居た作務衣の人は、ここは神社で自分は神職だと言う。

 天台宗東北総本山中尊寺の境内にあるこの神社は、中尊寺が造営されるより250年前の嘉祥3年(850)に慈覚太師円仁がこの地の鎮守のために開山し、加賀の白山姫神を勧請したといわれる。
 衣川の南に広がるこの丘陵は、衣川の扇状地、北上川の流れ、束稲山を一望できる位置にあり、朝廷の威に服さない勢力をけん制する要衡の地だった。

 その後長治2年(1105)、藤原清衡が東北地方で長く続いた戦乱の犠牲者を供養するために中尊寺を建立した。多くの堂塔が造営され、ここに浄土思想の文化芸術が開花した。

 社殿の向かい側に茅葺き屋根の能舞台がある。江戸後期に焼失したのを伊達藩主が再建し、渡り廊下、楽屋、後(うしろ)座などが備わっている。舞台の背面には老松と若竹の絵が描かれているが風雨にさらされ消えかかっている。
 舞台の前面には傾斜を利用した観覧席が設けてある。

 中尊寺の年中行事で、最も賑わうのが白山神社の祭礼といわれ、そのハイライトが当日この舞台に奉納される能狂言である。
 230年前に中尊寺白山神社を訪ねた旅行家菅江真澄は、祭礼の様子を旅日記に次のように書き綴るっている。

 ・・・神社の拝殿には白い帳と帽額(もこう)が張りめぐらしてある。御一馬(おひとつうま)という白い神馬と牡丹を手にした童子が金色堂前から白山神社まで練り歩いた後、帳を張りめぐらせた舞台に上がる。着飾った法師が開口、祝詞を述べる。若女の舞と老女の舞いが行われる。猿楽が始まる。墨染の袖を脱ぎ腕まくりした法師たちが鼓を打ち、笛を吹く。
 風が吹きつのり、杉の枯れ枝が落ちてきて見物人が大けがをした・・・。

 今年の夏もここで薪能が演じられるという。

(12・6・29)

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