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「800字文学館」

親愛なるハクビシン

池田 隆

 二階の寝室で就寝中、丑三つ時にゴトゴトと家の何処かで音がする。泥棒や強盗ならばこんな不器用な音を立てることもあるまい。だが気にかかる。身構えながら階段を下り、明かりを点けるが何事もない。床に戻り、首を捻っているうちに睡魔に襲われ、夢での出来事のように翌朝までに忘れてしまう。
 物音は二、三週間おきに数か月続いたが、だんだんと周期が短くなり、ついには毎晩となる。しかも音の発生源が寝室の天井裏にまで近づいた。
 確かに動物が闖入している。鼠ならばコトコトともっと軽やかな音の筈である。小鳥の足音はさらに可愛らしい。大きな蝙蝠かな、それとも野良猫? 堪りかね長い棒で下から天井を突くと、暫くは足音が止む。

 保健所に電話をしてみた。すると事もなげな返事、「多分ハクビシンです。市役所の動物園課が担当しています」
 中国でSARS問題が起きたときに冤罪を受けた動物である。名前だけを知っていた。だが、横浜の住宅地にまさか、しかも我が家に!
 動物園課に問合せると、アナグマや狸よりも大きい夜行性動物で、この数年は市街地にも度々出現し、人家の天井裏をねぐらにしているとの話。木登りが上手で、電線の上も歩くそうだ。鳥獣保護法により勝手な捕獲は禁じられ、許可書発行のうえ指定業者を通じて捕獲罠を無償貸与するとのこと。
 駆除専門業者に依頼し、天井裏を見て貰うと、多量の糞が断熱材の上に散らばっている。玄関脇の植木から登り、家宅侵入していることも爪痕から判明する。林檎やバナナの餌をぶら下げた頑丈な捕獲罠を木の根元に仕掛けてくれた。

 そのとき以来、夜中の物音は全くしなくなった。用心深い。毎朝罠を覗くが空っぽである。すると気持ちが何かほっとする。半年も同じ屋根の下で暮らしてきた間柄のせいだろう。「何処かにうまく逃げ失せてくれ」
 結局、姿も顔も見せなかったが、多量の糞、清掃・対策費十数万円の業者からの請求書、それに親愛の情を残して無事に失せてくれた。

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