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「800字文学館」

日本のカミとホトケ(その二)

稲宮 健一

 深い森や山にひそんでいるカミはある場所に鎮座し神社に祀られる。鏡、太刀などご神体はカミを現す神聖な象徴物であるが、カミでなく、その姿は見ることができない。一方、ホトケは仏像によってその姿を見ることができる。
 六世紀に渡来した仏教では人は仏道修行を通じて、究極的にはその姿のままでホトケになれると説いた。悟りを開いて、煩悩から解脱したブッタの生き方がそれを表している。本来両者は異なる宗教であるが、カミが影響して日本独自のホトケが創られていった。
 カミと渡来のホトケをつなぐ修験道がある。この教えは人里離れた霊気漂う山中で、激しい難行苦行を行なった山伏がカミの霊感と会い、ホトケの境地に達して呪的能力を具えた修験行者になれる信仰である。
 インドから西に向かい、シルクロードを経由してきた仏教は奈良に伝わるころ、太陽神の流れを汲む大日如来や、インド土着の神々に由来する明王などを携えて渡ってきた。また、カミの時代になかった来世という考え方をももたらした。
 このような宗教感を基として、唐の教義を学んだ空海、最澄によって、高野山、比叡山を根拠地とした密教が誕生した。この教では曼荼羅で描くホトケの世を説き、僧侶は修行を通じてホトケに近づき、究極的には内なる心が如来や、明王と合一になるように難行を行なった。この修行を修めた僧侶は呪法的な加持祈祷師となった。
 天変地異、凶作、疫病の蔓延などがなく、国家の安泰を図るには修行を積んだ高僧によるカミ、ホトケへの祈祷が唯一の方法であった。また、貴族社会にあっては個人の厄病は怨霊、生霊が災いすると信じられていたので、これを退散させるため、高僧による加持祈祷で治るように祈った。
 日常生活の平安を願い、浄土への再生を信じられたのは貴族以上の階層であった。
 鎌倉時代の仏教が始まる以前は、仏教はもっぱら国家のため、貴族社会のためであて、この時代以降に衆生を救う宗教が生まれる。

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