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「800字文学館」

伊豆山神社―頼朝と政子

大月 和彦

 熱海市街地の北側、伊豆山の中腹にある銅葺き屋根の堂宇が伊豆山神社。地下に箱根火山の温泉脈が走っているので走湯山権現とも呼ばれる。
 元々鎌倉幕府の源家との関係が深い。謀反人の子として頼朝が流され、成人した伊豆の地に近く、またここを根拠に挙兵した時の支えや合戦中にもここの僧たちに祈祷を頼むなど苦難な時代の頼朝にとって大きな支えとなっていた、

 またこの神社は、頼朝と政子の恋の場であった。流人頼朝が伊豆韮山の北条政子と人目を避けて逢い引きした場所であり、石橋山合戦の間、政子が伊豆山神社に身をひそめ、頼朝の身を案じていたことが吾妻鏡に記されている。その状況を再現する。

 文治2年(1186)4月、鎌倉の鶴岡八幡宮。
 平家討滅に功があった義経は、頼朝の怒りを買い追われる身だった。吉野の山中で捕らえられた愛妾静は、鎌倉に送られ、厳しい追及を受けていた。
 政子が舞いの名手だった静の舞いを見たいという。固辞するが許されず、やむなく舞台に立った。

よしのやま みねの白雪ふみ分けて 入りにし人のあとぞこひしき

 と舞った。頼朝側近の武将工藤祐経が鼓を、畠山重忠が銅拍子を打った。見る者は深く感動した。
 しかし頼朝は、八幡宮の神前で反逆者義経を慕って舞うとはけしからんと激怒した。
 政子がたしなめる。
「あなたが流人として伊豆にいたころ私と契を交わしましたが、父北条時政は時の権力を怖れ、私を密かに閉じこめてしまいました。しかし私は、あなたを慕って暗い夜や激しい雨の夜も会いに行きました。あなたが石橋の戦場にお出でになった時は独り伊豆山に残りました。あなたの消息が分からず毎日心配していました。
 当時の心痛を振り返ってみれば、今ここにいる静の気持ちと同じです。夫を思う心情を吐露するのは貞女の姿ではないでしょうか。私達のことを思い出してみなさい」
 頼朝の憤りが収まり、静に褒美を与えたという。後に尼将軍と呼ばれるようになった政子の面目躍如のエピソードである。

 境内には、「頼朝・政子腰掛け石」がある。

(12・1・24)

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