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「800字文学館」

火の番

志村 良知

 古典落語の名作『二番煎じ』、私は八代目三笑亭可楽の渋さが好きである。当番で駆り出された檀那衆が火の用心で町内の夜回りをする光景が、小氷河期だったという厳しい江戸の冬を背景に緊張と緩和の起伏の連続として描かれる。

 子供の頃、故郷の村ではこの噺そのままのような夜回りが夜番と呼ばれて行なわれていた。
 夜番小屋は村の真ん中を走る街道脇の斜面に建てられた農産物集荷場の半地下にあり、四畳半位で真ん中に囲炉裏が切ってあった。夜番をするのは消防団員で、冬の間三人一組が持ち回りで毎日番小屋に泊りこみ、夜中に定期的に拍子木を叩いて火の用心を呼びかけながら村中を歩く。三十代だった父にも当番が回って来た。当番に当たると夕方までに蒲団と水を入れた薬缶その他を番小屋に運んでおく。一人では運び切れないので、私も茶道具などを運ぶのを手伝った。
 父は夕食後身支度も厳重に寒風の中に出ていく。『二番煎じ』のように夜番小屋で酒を飲んでいたどうかその頃は判らなかったが今考えると飲んでいないわけがなく、朝、母に「お父さんを起こしてきとくれ」と言いつけられ、迎えに行くと父らはぐっすり寝入っているのが常であった。皆を起こし、囲炉裏の火に一寸当ったりすると大人になったような気分がした。

 この夜番というお勤めは、昭和三十年頃までであったようで、この送り迎えの記憶は自分ながらごく幼い頃のみであったような気がする。その後は消防団役員が夜半に半鐘を撞くようになった。注意喚起の信号であるカン・カン・カンの三点打で、長兄は中学時代父に代わってこれを撞いた。夜中に火の見櫓に登っての仕事でかなり怖かったり、寒かったりであったろうと思う。常設消防署が出来てこの習慣もなくなり、風の強い日などに、消防車が三点打の鐘を鳴らしながら回るようになった。そして、夜番小屋も街道の改修で農産物集荷場ごと取り壊され跡形も無くなった。

『火の番に塔影繊く曳きにけり/黙榮』

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