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「800字文学館」

カンチャナブリの憂愁

平尾 富男

 数年前の12月初旬、日中の気温が32度を超えるタイを訪れた。折しも、国民の間で人気の高い国王の誕生日を迎えようとしていたから、首都バンコクは祝賀ムード一色だった。そんな首都の喧騒を避けてカンチャナブリに向かう。首都バンコクから西130kmの郊外にあり、「美しい街」を意味するタイ有数の観光地だ。長閑で風光明媚なこの地方を訪れるほとんどの観光客は、映画『戦場にかける橋』で有名になった泰緬鉄道のクウェイ河鉄橋を徒歩で渡る。その一方、痛ましい歴史にはなんの興味も示さず、広大な自然の中のゴルフ場でプレーして帰るだけの日本人も多いと聞く。

 1943年に完成された泰緬鉄道は、連合軍の捕虜61,000人、それに250,000人もの強制徴用のアジア人を使った人海作戦によって可能となった。タイとビルマの国境に横たわる山岳地帯の岩山とジャングルを切り開くという難工事だった。その際に出たおびただしい犠牲者を弔うために、日本軍鉄道隊は1944年に戦没者慰霊塔を建てている。
 巨大な慰霊塔に頭をたれた後に戦争博物館を訪れると、入り口に「JEATH」の文字が冠されていた。泰緬鉄道は「死の鉄道」とも呼ばれていたから、JはDeathのDの間違いかと一瞬思った。実際は、この地で命を落とした多くの名も無き英霊たちの出身国、Japan・England・America・Australia・Thailand・Hollandの頭文字を繋げ、同時に「死」を暗示させる命名であった。
 連合軍捕虜収容所を復元した竹作りの掘建て小屋の中には、収容所内で使われた生活用具や錆び付いた武器などの他に、やせ細った捕虜に対して日本軍が行った残虐な懲罰の光景を描き遺したスケッチなどが展示されていた。件の映画は、実際に連合軍捕虜としての壮絶な経験を持つ作家ピエール・ブルーの小説を基にしている。

 「橋」のたもとの岸から突き出た水上レストランに入ると、三面を川に向かって開かれた明るい空間が広がり、外国人観光客が川面からの涼風を受けながらタイ料理を味わっている。
 観光客に混じり、平和な心の奥から湧き出る憂愁をひとり味わった。   

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