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「800字文学館」

NHKスペシャル「原発安全神話の崩壊」を視て 背筋が凍る論理

大平 忠

 昨夜、表題のNHK番組を見て愕然とした。見始めて血が頭に上り、一瞬の後背筋が凍った。これは一夜経って書いた感想である。記憶が前後しているが、頭に血が上がったのと加齢のせいである。
 番組は、1969年に遡り、原発の検討、創設、推進に携わってきた、官・学・民(東電)のトップ約150人を尋ねて聴取した記録である。
 始まる前に注目していたのは、登場人物がどういう態度を取るかであった。大震災で亡くなった人々、被害を受けた人たちに対して頭を下げ、なかには泣く人もいるかもしれないと予想していた。そのような人は誰もいなかった。あとの発言も、弁解に終始した。当時の原子力発電に関する最高の知識と力を持っていた人々がこの程度の人物だったのかという驚きは今も消えない。また、自分がこのような立場にいたら、いままた同じ言葉をここで吐いているのだろうかと自問して、暗然とした。
 1969年、アメリカの原発立地基準「ロー・ポピュレーションの地区」が日本で採用されなかった理由として、我が国ではそのような地区は無く、記載すれば地元に反対運動が起こるので削除したという。
 また、ある時点で、アメリカでは、「重要な事故の発生に際しては、まず住民の避難にあたること」が国として決められた。日本ではこれを知りながらどうしたか。これも建設に支障が起きるとカットされた。
 さらに、1979年のスリーマイル島、1986年のチェルノブイユの事件のあとでも、「シビア・アクシデント発生の場合の対策」は、電力会社の総意により、企業が決めて行うことになった。当時の東電責任者はこう言う。「経済対策と安全対策とどちらを重視するか私企業に任されても、どうしても経済的な問題が……」。頭に血がまた上がった。
 人の命という大切なものを忘れ、臭いものに蓋をしているうちに臭いと言えなくなり臭いと思わなくなった人たち。これは、太平洋戦争を起こした我々日本人の体質であると、ほぞを噛んだ。

(平成23年11月28日)

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