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「800字文学館」

「何でも書こう会」と私

古川 さちお

 何年前になろうか。この会に参加させてもらい、文章の勉強をすることになった。今では難聴者となり、皆さんの話が聞こえず、対等に議論することができないので、会合では多分みんなの顰蹙をかっていることだろう。恥を忍んで出席している状態だ。
 各自の八百字文章が面白いので、止める気にはならず、自らも拙い文を提出して出席している。文章を批評し合って談笑する声はこちらの耳に届かない。
 私自身の文章がまな板に乗る番になると針のむしろである。批評や質問を受けても、聞こえない私には答えようがない。かろうじて、隣席の人に筆談などで助けられて、なんとか対応できているという始末だ。たまたま隣の席となった人には申し訳ない限り。
 会合の後の二次会に参加するのも、酒好きの私には楽しいひと時なのだが、これも隣席の人に迷惑なことを思えば、皆勤というわけに行かない。
 そのような中でも、先般の会合は楽しかった。隣席となったM氏が筆談を引き受けてくださり、聞こえない私のために、簡略ながら実に的確な筆記をされたのだ。
 嬉しくなったので、その日の二次会にも出席した。隣席には紅一点の才女Kさんが座られ、大いに助けられた。特に私への褒め言葉には、この爺さんすっかり嬉しさが募り、気をよくしたものだ。次の会でも是非参加したいと願っている。

 このところ、難聴を少しでも緩和しようと、新しい補聴器を探しまわっている。従来は高価なカナダ製の機器を使っていたのに、「アナログ」だったので難聴の進行について行けなかったようだ。かくて今回、最新の「デジタル」機器を試そうと、目下スイス製補聴器を試用中。そのうち劇的に聞こえる老人になれないものか、と夢を見ているところだ。
 が、世の中はうまく行かないようにできているので、本当に儚い夢かも知れない。夢に付き合いながら、助けてくださる人に感謝感激である。

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