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「800字文学館」 文学・言語・歴史・昔話

日本航空の3人の作家

都甲 昌利

 かつて日航の広報担当役員が「わが社にはものを書く社員が多く、そういう連中を集めたら日航だけでペンクラブが出来る」と言ったことがある。これに対して営業担当役員が「ものを書くのも結構だけれど、ちゃんと仕事をしてもらわにゃ困る」と釘をさしたことがあった。

 中村正軌、深田祐介、安部譲二ら著名な作家は元日航社員。最年長者は中村氏で深田氏、安部氏と続く。昭和55年、中村氏が『元首の謀叛』で直木賞を受賞した時、同時に深田氏の作品も候補になったが、受賞を逃がした。この世界でも年功序列なのだと囁かれた。
 『元首の謀叛』は冷戦の中、戦争を起こさずに東西ドイツが統一することが出来るかという壮大なテーマだ。作家は自分の思いを文字で伝えることが大切だと述べている。ドイツ在勤時代に資料を集めたのだが、東独大統領のホーネッカーの事務室の描写は細部にわたり、実際に訪問したような臨場感がある。資料は日・英・独の新聞や雑誌の記事が主だという。それだけの資料であのような壮大な小説が書ける想像力は何なんだろう。サラリーマンとしてもシドニー支店長などを歴任し定年まで勤め上げた。

 深田氏の経歴は華麗だ。27歳の時『あざやかなひとびと』で文学界新人賞、45歳で『新西洋事情』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、更に51歳で第87回直木賞を『炎熱商人』で受賞している。その後退社しプロの作家となった。彼は取材とインタービューをもとに独自の想像力でもって作品を作り上げる。大阪のホテルで偶々一緒になった時、執筆中の彼の部屋に呼ばれた。書き損なって丸めた原稿用紙が多数床に散乱していた。「頭の毛をかきむしって書く」とは彼の口癖だ。プロの作家は大変な苦悩をされるのだと感じた。

 安部氏にお会いしたことがないが、噂は常に聞いていた。家柄がよいお坊ちゃんで周囲には常に女性がいた。『塀の中の懲りない面々』でベストセラーとなり作家としてデビューした。
 その後、日航から著名な作家は出ていない。

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