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「800字文学館」 政治・経済・社会

「正しく」怖がる

野瀬 隆平

 「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりすることはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」
 寺田寅彦が随筆の中で述べている言葉だ。昭和10年に浅間山が爆発した時に、登山客と駅員との会話を聞いての話である。
 原発事故による放射能への対応をみていると、この言葉が思い起こされる。目に見えない放射能は、特に低レベルの場合にはその影響がすぐに現れず、誰もが納得できる安全基準が定めにくいので、「正しく」恐れることが難しい。
 事故後に登場した評論家や学者は、むやみに危険性を強調したり、逆に安全であることを力説する。そこに主観が入り、純粋に科学的、学問的に論ずる態度に欠けている。
 たとえば被曝量の安全基準。年間20ミリ・シーベルトが妥当かどうか、諮問委員の一人は絶対にこれでは危ないと主張し、政府の方針に納得しかねると辞任した。なぜ20ミリでは危ないのか、科学的に論証し、説得するのが研究者の役割なのに、自分の主張が入れられなかったといって辞任するのは、学者としての責任を放棄したも同然である。

 放射能を正しく理解しようと、本を探してみた。事故が起きてから、あわてて書かれたものではなく、それ以前に客観的かつ冷静な科学者の立場で論じている本が読みたい。そんな思いで探していて見つかった一冊が『放射能と健康』と題する本である。放射線医学の専門家が2001年に著したものだ。放射能に関する研究成果を歴史的に丹念に追い、チェルノブイリ事故の時にも政府の要請で邦人を被害から護るために、隣国のポーランドに派遣されて、実態の把握と対応に努めた人である。
 内容はやや専門的であるが、素人にも理解できるように書かれている。完全に読みこなせたか分からぬが、放射能の人体への影響を正しく知る一助となったことは間違いない。放射能に関して公表される数値を、少しは冷静に正しく判断できるようになったと思う。

(注)
岩波文庫 寺田寅彦 随筆集第五巻 『小爆発二件』
岩波新書 『放射能と健康』舘野之男著

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