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「800字文学館」 仕事がらみ

日本航空の衰退期(4)(JASとの合併)

都甲 昌利

 2001年9月11日、とてつもない事件が起こった。ニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックされた民間機が突っ込み、同時多発テロが発生した。この年、日航は皮肉にも創立50周年の節目の年を迎えた。8代目の兼子勲社長は10月1日の創立記念日で、50年と云う節目を迎えた日を祝福し次のように述べた。「この事件は世界の航空業界の収支に大きな影響を与えるだろう。世界的景気停滞に更に壊滅的ともいえる打撃をこうむった。航空保険料の急騰など費用も重なり、米国の大手航空会社を始め多くの航空会社が突然の破綻の危機に直面している。しかし、50年の歴史の中で育み、先輩達から受け継いだ優れた伝統とDNAを信じて、変化を恐れず改革に取り組み、良き伝統とDNAを更に強化し発展させれば、JALグループはこの危機を必ず乗り越えられる」。

 危機を脱出しかけた2004年に更に不運が襲った。SARS(重症急性呼吸器症候群)の発生である。中国広東省で発生したこの伝染病は瞬く間に世界中に広がり、国際線を運航する航空会社に大打撃を与えた。沈静化した後もしばらく、海外旅行を控える傾向が続いた。観光客は国内旅行へとシフトして行った。ANAと比較して国内線が弱体のJALの方策は、国内各地に路線網を持ったJAS(日本エアシステム)と合併をして国内基盤を強固にすることだった。
 JASはJALとは規模やブランド力に差がありすぎた上に、3000億円もの負債を抱えていた。それなのに何故日航は合併を望んだのか。それはJASの持つ国内線ネットワークと東急グループの後ろ盾か欲しかったのだ。4年間の合併交渉は難航したが2006年に合併が成立した。

 合併後、経営統合による期待されたリストラやコスト削減は遅々として進まず、新たな組合問題で両社の社員間に不協和音が発生し、JALブランドは失墜していった。この合併は失敗であったとの声が聞かれた。

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