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「800字文学館」 日常生活雑感

玉電渋谷駅

稲宮 健一

 シブヤ「109」に代表される渋谷はファッション「かわいい」の中心地であり、原宿へと繋がる若者の町と言われている。懐かしい昭和の時代にここをタイムスリップさせてみる。渋谷駅は私の外界への玄関口であった。
 子供の頃、玉電は一番身近な電車なので、渋谷行出発などと声を張り上げて遊んだ。
 中学に入ると、通学のためマッチ箱のような小さな電車にすし詰めになり渋谷に着き、そこから都電に乗り換えた。都電の始発駅はハチ公広場にあって、新橋行きの電車は山手線のガード下をくぐり、宮益坂を登って行き、霞町へと運んでくれた。高等学校までこの経路を使った。
 当時の渋谷には沢山の大きな映画館があり、小津安二郎の「東京物語」、黒沢明の「七人の侍」などを友人と一緒に見て遊んだ。ありふれたターミナル駅の盛り場で、ファッションの発信地などとは到底思えない普段着の街であった。
 渋谷駅から山手線に乗り、大学に通い、また就職のため東京駅を経由して、関西に行ったり、ここは社会へ出る時の出発駅でもあった。丁度、玉電渋谷駅までが家の延長、そこからが外の社会であった。
 やがて、東京オリンピックの時代になると、厚木街道(246)に高架の首都高が開通し、路面電車は交通の邪魔とばかりに撤去され、地下鉄新玉川線になった。今、玉電渋谷駅跡はマークシティとなり、都電の渋谷駅もかつての痕跡を何も残さない。

 三・一・一の当日、用事で三越本店にいて東日本大地震の大きな揺れにあった。まさかこんな巨大地震とは感じなかった。しばらくすれば電車も動くと思い、東京駅へ、さらに新橋まで歩き様子をみた。地震の被害が激烈であることは伝わったが、電車の動く見込みは不明だ。歩くかしょうがない。幸い電話が通じたので、世田谷の妹の家に向かった。中学の頃、雪で電車が止まった時歩いたなどと思い出しながら人の流れと共に、六本木、青山、渋谷、池尻、三軒茶屋と歩き、到着したのは九時過ぎであった。

玉電:東急玉川線
新玉川線:現在の田園都市線の二子玉川から渋谷の区間を称した。

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