作品の閲覧

「800字文学館」 スポーツ

ゴルフは米国で貴族から庶民のスポーツへ

都甲 昌利

 17世紀にメイフラワー号で、新大陸にやってきた英国人達は食うや食わずで、ゴルフなどする暇はなかっただろう。独立以後、1865年南北戦争が終結、4年後に大陸横断鉄道が開設されて少しは世の中が落ち着いてきたころ、先祖の血を引き継いだスコットランドやアイルランドからの移民たちがゴルフをやり始めた。スコットランドからの移民ジョン・レイドという男が、ニューヨーク郊外の牧草地に3ホールのゴルフ場を造ったのが始まりである。この頃、アメリカで芯に糸を巻き外をゴムで蔽ったハスケルボールが考案され、これまで非常に高価だったゴルフボールが比較的安価で手に入るようになった事も、アメリカでゴルフが盛んになったと考えられる。その後、ボールやクラブの改良でゴルフは完全に大衆のものになった。

 アメリカのゴルフは一口に言ってその気軽さだろう。その気軽さからシカゴ在勤時代、庶民の私もゴルフを始めた。シカゴは人口約600万、米国第二の都市の周りには、およそ150のゴルフ場があり、予約もせずいつでも何処でもプレイできる。
 「ルールも知らないし、やった事が無いから」と一旦は拒否をしたが、「ドント・マインド」とアメリカ人の気安さから強引に自宅近くのゴルフ場に連れて行かれた。いきなり本番である。初めて見る初夏のフェアウエイは緑が眼にしみて実に気分が爽快になった。キャディーはいなく、バッグを担ぐか、カートを引くか、モーターカートでプレイする。気兼ねは一切ない。グリーンフィーは2、3千円の安さだ。

 小さな子供が親と一緒にラウンドをしている。日本では見られない光景だ。子供のためのゴルフ教室が盛んだ。アメリカでは若い選手がどんどん育つ。将来のジャック・ニコラウスを目指して練習に励む。アメリカの名誉のために言っておくが、ペブルビーチ、オーガスタなど誰でもが手軽にプレイできない格式ある名門ゴルフ場が存在することを付け加えておきたい。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧