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「800字文学館」 日常生活雑感

杉花粉症の恐怖

志村 良知

荒ぶ日や花粉を空へ杉大樹

 これは父が昭和二十三年の早春に詠んだ句である。高台の村から小学校までは山道を下って二キロ位あり、小さな谷沿いの道の脇に杉の大木が並んでいた。根元は谷の底に近い所にあったので、子供の目の高さ距離十メートル余りのところに杉の花房が並び、これに石を投げて当ると花粉がパッと散るので春先には子供達の恰好の遊びになった。うまく枝に当てると大量の花粉が飛び散るのでやんやの喝采である。
 この時代にも杉花粉症と言うのはあったと思われるが、石投げに興ずる子供たちは勿論父もまた、春の嵐に吹かれて花粉をまき散らす杉大樹の姿をただ美しい光景として捉え、その先は考えなかったであろう。

 八十年代に静岡県裾野市の愛鷹山東斜面の住宅地に引っ越した。当時我が家は花粉症には縁が無かったが、ある年突然家内が目と鼻に異常を訴え、花粉症患者の仲間入りをした。なにせ文字通り目と鼻の先の山腹に花房を付けた杉林が濃密に並び、花粉を飛ばすのが見えるのであるから、杉花粉症の強制発症テストをしているような場所であった。
 海外旅行中は花粉症の症状が治まると言う話があるが、アルザスに移り住んだ最初の春には何事も起きず、嘘のようにすっきりした日々を送った。しかし、三、四年も経った春、目と鼻に異常が出た。症状を軽減する薬を買うにも医者の処方箋が必要なので、医者にかかると二十種余りのアレルゲンのパッチ・テストの結果、白樺の花粉症と診断された。これは日本ではあまり聞かないが、ヨーロッパの中高緯度地方ではよくあるアレルギー性疾患だという。

 七年後の夏に帰国して翌年の春、家内の杉花粉症はその間のブランクが無かったように再発した。花粉症というのは、脇で苦しんでいる人がいると、自分も同じ症状があるかのような錯覚に陥るものである。今年は去年の八倍の花粉が飛ぶと言う。怖い事である。

風誘ふ花の粉にて我もまた春病み来らばいかにとやせむ

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