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「800字文学館」 文学・言語・歴史・昔話

88年の生涯より(26)ペンフレンド(その一)

大庭 定男

 旧制中学二―三年の頃より、同年代の外人と文通を始めた。その一人はドイツ・バイエルン州の少女ヘドビッグ・ゲルトナーさんであった。時はナチス党躍進時代で、彼女の手紙にもヒトラー・ユーゲントの活動で忙しいが楽しいと書かれていた。間もなく、欧州では戦争、私は受験勉強で、文通は十年以上途絶えてしまった。

 一九五〇年代に文通再開した。ゲルトナーさんは戦中にヘルシャー(Hoelcher)氏と結婚、新婚早々に夫は東部戦線に出征、戦死した。彼女は実家に帰り息子を出産、それ以来、やもめ暮らしで食料品店をやっていた父親を助けて働いているとのことであった。

 一九六三年秋、外務省のEEC調査チームに加わった私は、十一月十七日の日曜日、滞在先のスイス・チウリヒよりレンタカーで国境を越えオーベルキルヒ(Oberkirch)という小さな町に彼女を訪ねた。店は使用人七人、全ての食料品を並べ、近くの山で捕った鹿、野兎、雉も吊るしてあった。

 この家の自慢は、背後の山の別荘で、週末の休養にはもってこいとの事であった。

 息子のウーリッヒ君は十九歳、祖父の店を継ぐべく、商業学校に通っていた。ギルドの伝統の残るドイツでは小売業でも一定期間、通学(働きながらでもよい)しないと免許が下りないのである。

 午後三時、別れを惜しんで帰路についた。オッフェンブルグ(Offenburg)から最新のアウトバーンに乗り、バーゼルまで一三〇キロを一時間半で走れた。しかし、それからチウリヒまでは道幅も狭い上に交通量が多いため、非常に混み、ノロノロ運転で午後六時過ぎにホテルに着き、ホッとした。一度は会いたいと思っていた人に会うことが出来たのである。

 その後、文通は続き、食料品をはるばる東京まで送ってくれたこともあったが、私のロンドン転勤などもあり、途絶えてしまった。「何でも書こう会」のお陰で彼女のことを思い出したので、約30年ぶりに手紙を出してみようと思っている。

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