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「800字文学館」 日常生活雑感

ニコタマ

稲宮 健一

 ニコタマと聞いてはてなと思った。二子玉川のことをそう呼ぶそうだ。初めて聞いた時、何か隠語のようなでなじめない。しかし、今や、渋谷、新宿並の人気のあるポピュラーな場所の愛称になっている。

 世田谷の上馬で育った私にとって、二子玉川と言えば昭和二十年代の懐かしい風景が浮かんでくる。当時は路面電車、玉電の終点駅だった。

 駅から二、三分で堤防を越えると、清流の多摩川が見えてくる。駅の付近はあたり一面は畠と田んぼで、近くによしず張りのかき氷の店や、水着、釣りの店があるくらいで、他に何もないひなびた所だった。川に通じる道はほこりっぽい砂利道で、下駄で歩き多摩川にでる。当時はカラフルな浮きわが有ったり、大人の付き添いがあったわけでもなく、少し高学年を交えた近所の子供どうしで、水遊びに行ったものだ。子供ながら、深みに行かないよう呼び掛けたりして遊んだ。

 二子玉川から玉電の支線が砧まで行っていた。砧駅の前に「わかもと」の工場があり、その前の川筋から外れたところに、かつての洪水が残したのであろうか、沢山の池があった。そこが格好の釣り場で、中学の同級生と二人で釣りに来ていた。どうゆう訳か、夕方になると急にヤマメが釣れだした。釣りに気を取られているうち、日がとっぷり暮れてしまった。

 帰りの電車が自宅の最寄りの駅に着いたのは相当遅い時間。祖父が駅に立っていて、「健坊、心配したぞ」と大声で怒鳴られたのを覚えている。家では水上署まで電話で問い合わせ、水難事故にあったのではないかと心配を掛けた。家族に心配を掛け申し訳なかったと思った。

 今は十重二十重に安全策を考え、ある意味で子供の自由を奪っているのではないか。確かに、子供に事故があってはならないが、あまりにがんじがらめに縛り過ぎて、冒険心を奪うのも問題である。子供は少し離れた所から眺め、危険が予測されるとき素早く手を差し伸べるなど、上手な子供との付き合いが必要だ。

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