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「800字文学館」 日常生活雑感

むさぼり読む本の味

大平 忠

 定年を迎えたとき、好きなだけ本が読めると喜んだ。確かにいつでもいろいろな本を読めるようになり、たいへんよい。ところが、本を読む興奮というか、本を読む感じが今までと違うのである。
 子どもの頃「ごはんよ」と呼ばれても読むのを止められなかった冒険小説のなんと面白かったことか。受験勉強中に二度浪人はできないと思いつつ読みふけった内外の小説は輝いていた。就職して会社勤めしてからの猛烈に忙しかった半生に読んだ本には、また特別な思い出がある。

 入社して九州の工場勤務をした頃は、残業続きの毎日だった。残業時間が、工場三千数百人の中で毎月集計のワーストテンに入ったこともあった。土日も無く連日夜遅く、独身寮へ帰りつくのは十二時前後だった。寝る前に、出たばかりの山本周五郎全集を読むのが無上の楽しみだった。翌日の仕事があるので午前二時までと時間を決めて読んだ。

 司馬遼太郎を読んだのは、通勤の電車の中である。鎌倉に住んでいた十年間は、片道一時間が電車の中だったのでこれが読書の時間だった。サラリーマン必読の日経新聞は、最後の「私の履歴書」と小説のページ以外はさっと目を通すだけで熟読などしたことはない。わが敬愛する司馬先生には極めて申し訳ないがこま切れ的読み方しかできなかった。

 会社勤めは、ある時期から出張が多くなった。海外出張もときにある。携帯したのは藤沢周平の本だった。出張が国内のときは短編、国外のときには長編を持っていった。国内出張のときには、読むのに夢中で乗り越ししたことも一度ではない。

 いま思うと、むさぼり読むというあの本に対する没入感は、時間がないからこそいよいよ深まったのであろう。時間がないから早く読みたい、でも早く読み終わるのがまた惜しいような感覚が懐かしい。
 しかし、時間がいくらでもあるという時期もあっという間に過ぎたようだ。読書に残された時間も限られてきたようである。読む本の味が最高になる時を迎えたのかもしれない。

(平成二十二年十二月十日)

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