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「800字文学館」 体験記・紀行文

88年の生涯より(24)生活指針

大庭 定男

 子供のころから満二四歳の終戦まで、私たちは「忠君愛国」、「天皇絶対」を強制された。しかし私は「愛国」はともかくとして「忠君」、「天皇絶対」にはついてゆけなかった。軍隊で、カチカチ頭の高級副官が中少尉に課した作文に、私は「天皇」という言葉を一語も書かなかったため、「尊皇の決意に欠けるところあり」との講評が付いて返ってきたこともある。

 私は学生時代より作家・島木健作に傾倒した。転向文学者であった彼は一九三四年,転向問題を扱った「癩」で注目を浴び、三七年に長編「生活の探究」、ついで「続生活の探究」で転向者が、岡山県の農村で悩みながら農に励み、結婚し、一人前の百姓に成長してゆく過程を描いている。この小説は「知識階級の良心を守るためのものとして青年層を中心に多くの読者に迎えられた(Wikipedia)」。さらに、一九四一年発表された「運命の人」では東北地方の下級農林技師が、コツコツと気象データを集めていたが、ある年、山背(三陸から青森、秋田、山形の海岸地方で吹く初夏の冷たい北東風。霧や少雨を伴い、しばしば冷害の原因となる 広辞苑)を観測、上司に報告するが、上司は真剣に取り上げない。これは大変な事になると悩むがどうしようもない。

 このように、人知れず、コツコツと努力して止まない人の生き方に、私は魅かれ、あやかりたいと、自分なりに努力してきた。六〇年間、起居を共にしてきた家内は「あなたの運勢は孤独苦労運」という。さもありなん、それで結構だと思っている。

 学生時代に読んだゲーテの「フアウスト」の最期に、大土木事業などをおこない、多くの良民の生活向上に貢献したファウスト博士が息を引き取る瞬間、天上より女神が舞い降り、「努力して止まざる者を、我らはこれを天国に迎え入れることができる」と歌いながら共に天国に舞い上がってゆく。これこそ、人間最高の生き方ではないかと信じている。

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