作品の閲覧

「800字文学館」 体験記・紀行文

我が脱臼記

大平 忠

 私は左肩を今までに七回脱臼した。
 最初は三十五、六年前、会社の運動会で障害物競争を走ったときであった。梯子をくぐったら肩まで抜けてしまった。そのとき運ばれた病院の医者が身体の大きな新米だった。力ずくで捻じ込まれた。肩の周辺の腱がかなり切れたようだった。

 二度目は、福岡空港の出発前の機内であった。親切心から隣りのおばあさんの荷物を棚に上げようとしたとき簡単に抜けた。JALの契約病院で治療して貰い遅い便で帰った。家内に報告したら「ほんとにおばあさんだったの」と言われた。

 三度目は、単身赴任で関西駐在時である。阪急芦屋川の駅前に日曜もやっている行きつけの飲み屋があった。ある日曜の夜、店の中で山帰りのリュックサックをかついだ男が酔っ払ってひっくり返った。近づいて左肩で抱き起そうとしたとたん、がくっとショックが走った。飲み屋の女将が教えてくれた整骨医にタクシーで直行した。治療が終って家内に電話をかけ男を助けた経緯を話した。ついでに飲み屋の女将はばあさんであると言ったら「いつもおばあさんなのね」と素っ気なかった。

 五度目か六度目かは忘れた。一念発起して千代の富士に倣い肩の筋肉を鍛えようと決心した。近所のジムに一年間の会費を振り込んで出かけた。若い元気な女性のインストラクターが親切に教えてくれる。次々教科をこなし最後の仕上げはプールである。ビート板に掴まってバタ足をやっているときであった。プールの真中あたりで、ビート板がするりと逃げた。慌てて追いかけて腕を伸ばした。その瞬間抜けてしまったのである。これには参った。どうにか片手でプールから這い上がった。着替えてフロントに行き病院に連れて行って貰った。
 医者に千代の富士の話をしたところ、じっと私の顔を見て曰く、「貴方と千代の富士とは歳が違います。何もしないのが一番です」
 一年間の会費も払い、若いインストラクターに未練も残ったが、それきりジムには行かなかった。

(平成二十二年十一月二十九日)

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧