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「800字文学館」 仕事がらみ

日本航空の成長期(4)(大量輸送時代)

都甲 昌利

 ジャンボジェット機の導入によって旅客の大量輸送時代が到来し、社会的にも大きな変革をもたらした。戦後、民間航空がプロペラ機で再開された頃は、ビジネス旅客が殆どで観光目的で飛行機を利用する人はいなかった。DC-8ジェットなど大型機が導入されるたびに航空会社は増席した座席を埋めるために観光目的の旅客層にも販売を広げた。

 レジャー進化論というのがあって、庶民は余暇を楽しむために、最初は船橋ヘルスセンターへと出かけた。生活に余裕が出来ると次は熱海の一泊旅行となる。やがて熱海などには飽き足らず、京都・奈良、九州、北海道へと進化していく。更に日本国内では満足せずハワイ・香港とレジャーは進化していった。「トリスを飲んでハワイへ行こう」という宣伝文句は当時の流行語になった。
 こうした変革をもたらした要因は、ひとつにはジャンボ機就航による航空運賃の極端な値下げがあった。特にグループ運賃の値下げで新しい客層を開拓した。庶民の間でも海外旅行は夢ではなくなったのである。もうひとつは政府の所得倍増計画で個人所得が増えて、その結果、庶民の懐も豊かになり旅行に充てる費用が可能となったことである。

 大量輸送時代には新しい販売体制や流通制度が必要となる。ジャルパックという旅行商品が誕生したのは1965年であった。旅行が商品になったのである。ヨーロッパ旅行が約70万円したのもが、ジャルパックでは29万5000円と半値以下になり、この廉価が人気を呼びジャルパックの参加者は急速に増大した。まさにジャルパックは海外旅行の大衆化をもたらした。

 航空運賃の値下げは更に新しい客層を開拓する。現在は航空の自由化により格安航空会社(LCC)の参入によって更に運賃が下がり新しい客層を取り込んでいる。生活保護を受けている人達も海外旅行が可能となるかもしれない。中国では座席を使用せず旅客を立ったままで乗せるというLCCが現われたという。人々の旅への夢は尽きない。

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