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「800字文学館」 体験記・紀行文

二つの赤坂宿

清水 勝

 赤坂といえばTBSや小松製作所の本社ビル、いやいやミカドだよ、俺はラテンクォターだな、と思い出の多いことでしょう。でもここでいう二つは、街道歩きで知った旧東海道の赤坂宿(豊川市赤坂町)と旧中山道の赤坂宿(大垣市赤坂町)です。

 旧東海道の赤坂宿は東海道本線の経由地から離れて寂れています。一方、旧中山道の赤坂宿には中央本線からは離れていますが、東海道本線の支線で無人駅ながら終点美濃赤坂駅があります。それもそのはず、江戸時代は揖斐川の本流杭瀬川に赤坂港があり、米・材木・酒そして近場の山から採掘される石灰が運ばれていました。その石灰輸送のために大正八年に盲腸のような支線が開通したのです。

 中山道といえば皇女和宮が公武合体のため徳川第十四代将軍家茂の妻として、京都から江戸へ嫁入り行列が通ったことで知られていますが、赤坂宿もその宿泊地のひとつに選ばれました。今年も十一月七日に『中山道赤坂祭』が開催され、地元の若い女性が和宮に扮し、街道筋を姫行列が歩くそうです。通ったときはその準備で忙しそうでした。

 さて、旧東海道赤坂宿は隣の御油宿から僅か一.七キロしか離れていません。その間の松並木は見事で旅を楽にしてくれますが、これが曲者で、両宿とも互いに客引きにする飯盛女で有名だったようです。江戸時代の旅人は疲れの出るここらで大いに英気を養ったのでしょう。

 今、このまま赤坂を廃らしてはいけないと、六名の元気な農家の奥さんグループが街道沿いに古い商家を利用した農家レストラン「愛輪(あいりん)」を運営しています。自分たちで作った野菜を材料にした手作り料理はなかなかでしたし、ゆっくりとお話が出来るのが街道歩きの楽しみのひとつでした。

 二つの赤坂ともかつての賑わいはありませんが、ゆったりとした時間の過ぎる所で、何だかいい旅気分にしてくれます。

 旧東海道、旧甲州街道を歩き終え、旧中山道も関ヶ原まで来ました。あと少しです。

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