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「800字文学館」 日常生活雑感

ジジバカ物語

浜田 道雄

 「何でこんなに可愛いのかよ。孫という名の宝もの」と唄う、大泉逸郎の演歌「孫」がバカ受けしている。世の中は孫が可愛くてしょうがないというジジバカ、バババカが溢れているようだ。
 私の身近を見ても、すぐに何人ものジジバカが見つかる。孫がアメリカに行ってしまったからと「追っかけ」をやって、その挙句に「学校の送り迎えのショーファーをやらされた」とうれしそうに語るMさんやTさん。夏休みに家に来た孫を「まるでギャングだ。年寄りを情け容赦なくこき使う。大変だ。大変だ」とこぼしながらも、二人で幼稚園への電車通園を楽しんで、いざ孫が帰ってしまうと、「ズーッと幼児語を使っていたから、大人の世界になかなか戻れない」とニタニタして、言い訳するOさん。皆この仲間だ。
 もっとも、現役時代の彼らは有能な企業戦士だったから、子供と遊ぶ時間などなかっただろう。それで、今になって孫を相手に罪滅ぼしをしているのかもしれない。

 私にも孫が二人いる。だが、私はジジバカではない。孫たちは独立した人間だと思い、最初から「小さな友人」として対等に付き合っている。「宝もの」などといって、自分の持ち物みたいに扱ったりしないのだ。

 その孫も今年中学生になり、すっかり大人になった。もはや「小さな」友人ではなく、本当に「対等な」友人だ。そんな孫が近頃びっくりするほど私に似てきた。背が高く、首がスラッと長い体型は私とそっくりで、どうやら話し方や考え方も近いらしく、気が合う。性格も素直で真面目で、なかなかいい。息子たちの中学時代には、こんな風に見えたことはなかったのに。
 孫娘の方はどうか。まだ小学生だが、酔っ払った私をジロッと睨む眼つきなんか、うちのかみさんにそっくり。人をすくませる威力がある。
 人の資質は隔世遺伝するのかもしれない。前の演歌だって「じいちゃん、あんたにそっくりだとよ。ひとに言われりゃ嬉しくなって」と続いているんだから。

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